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プロでの具体的な目標は早慶戦後に


 2014年のドラフト会議、毎年のようにプロに人材を輩出する名門・早大からは有原航平中村奨吾の2人が1位指名された。DeNA広島日本ハム阪神の4球団が入札した有原は、日本ハムが交渉権を獲得。中村はロッテの単独指名だった。

 同大から2人が1位指名されるのは、斎藤佑樹(日本ハム)、大石達也西武)、福井優也(広島)の3人が1位指名され、いずれもプロに進んだ10年のドラフト以来だった。

 当の有原と中村は東京都・東伏見の早大野球部「安部寮」ロビーのテレビ画面で、約40人のチームメートとともにその結果を待った。17時30分過ぎ、同大のグラウンドに隣接する室内練習場で岡村猛監督に指名を報告。有原は「あこがれの舞台で頑張ってくれ」、中村は「良かったな。厳しい世界だけど頑張ってくれ」とそれぞれ祝福の声を掛けられた。いずれも一瞬の笑顔の後にすぐに表情を引き締めたのは、将来への決意の強さの表れとともに、優勝の可能性が残る早慶戦を翌週に控えていたから。プロでの具体的な目標については、2人ともリーグ戦終了後にあらためて考えるというニュアンスで、具体的な言葉をあえて控えた。

大きな夢を抱く4球団競合右腕


 12球団OKの姿勢で悠然と交渉権獲得球団が確定するのを待った有原だが、日本ハムに決まった瞬間に見せたガッツポーズに、ある意味で理想の球団だったことをうかがわせた。「大学出、すなわち即戦力でなければいけない」。その自覚は、ある。「1年間、ローテーションを守る」。それはは最低限と考えているが、この好素材がノルマを達成したときに残す1年後の数字に、抽選を外した3球団は逃した魚の大きさをあらためて知ることになるだろう。

4球団競合となった有原だが、日本ハム・津田球団社長(左から3人目)が引き当て、「なまら、うれしい」と絶叫した(写真=川口洋邦)



 広陵高3年だった10年、「プロ志望届」さえ提出していればドラフト1位で消えることが確実視されていた。その年、春夏連続で甲子園に出場。春はベスト4の戦績で、夏は最速149キロの実力で評価を高めた。当時から187センチ、87キロのスケール。ただ本人は「体力的にも技術的にも、まだまだ足りない」と、冷静に自分の立ち位置を分析していた。その結果、選択した進学の道だった・・・

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