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日本のプロ野球のトレードは、球団にはある種の気まずさがあり、選手は多少なりとも屈辱感を味わう――そういうものとして行われてきたようだ。しかし、80年間すべてそうだったワケではない。なぜこのような受け取られ方になったのかを考えつつ、そんな中で、好結果を生んできたトレードも数多くあったことを書いてみたい。
文=大内隆雄、写真=BBM

ハリスから始まった「××を慕って」型。2リーグ分立の引き抜き合戦で悪イメージ


 メジャーからの“出戻り組”が何億円もの年俸で迎えられる時代だから(筆者はどうかと思うのだが)、トレードは、ごく当たり前のチーム補強策であり、だれもそれほど驚いたり、喜んだり、嘆いたりしなくなったが、昔は、トレードされる本人は大いに嘆き、ファンは「あの選手も終わりか」と見切りをつける――そういうものだった。

 まず草創期から見ていくと、選手の絶対数が少ない戦前は、巨人阪神などの強チームは流動性が低く、弱小チーム間でアチコチするというのが多かった。戦争末期になると巨人も、消滅球団から選手を引き受けるという“人助けトレード”を行った。昔のトレードは、同じぐらいの力の選手の交換というのはまずなく、ほとんどが引き抜き(選手から見れば脱出)だった。

 戦前の大成功例は、37年に、この年プロ野球に参加した新チームのイーグルスが、名古屋からバッキー・ハリス捕手を引き抜いたトレードだろう。野球協約などない時代、ハリスは、名古屋のGMだった河野安通志が、経営者のやり方に不満を持ち辞任、イーグルスの立ち上げに参加したことで、恩人だった河野を慕って強引に移ったのだが、この「××を慕って」という移籍は日本のプロ野球の1つのパターンとなっていく。近年も、ダイエーの根本陸夫前監督を慕って95年西武石毛宏典内野手、工藤公康投手がFA移籍している。

 ハリスは37年秋にフル出場して最多安打、MVPに輝いた(外国人選手としては初)。38年秋には本塁打王。戦前の最大のトレード成功例だった。もっとも、引き抜きだし、イーグルスは新生球団だから、名古屋への見返りはゼロ。37年秋は、名古屋は最下位に沈んでしまった。

戦前の移籍の大成功と言えば37年に名古屋からイーグルスに移ったハリスだ


 こういうことがあると、トレードは、プロ野球のドロドロした裏側を見せるもの、というイメージにおおわれてしまう。このイメージがさらにグロテスクに増幅されるのが、戦後の50年、2リーグに分立した際の“仁義なき引き抜き合戦”をファンが見せつけられてからだ・・・

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