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あの外国人選手いま、何をしてる?

元助っ人たちのセカンドキャリア パウエル(元中日ほか・外野手) はいま、何をしてる?

 

あの外国人選手はいまをしているのだろう──。ここでは現在MLBで指導者となっている元外国人選手を紹介しよう。元中日の助っ人で、あの「10.8」で中日の主軸を打ち、首位打者を3年連続獲得したパウエルだ。現在はアストロズで打撃コーチ補佐として青木宣親などをサポート。指導する中で日本での経験も大いに役立っているという。
文=樋口浩一、写真=BBM、樋口浩一

1992年シーズン途中の5月に中日に加入。1年目から3割を打ち、ドラゴンズ打線の中心選手となった


「10.8」が一番の思い出


1992年、中日は故障したマーク・ライアルの代わりに、シーズン途中ながらマリナーズ傘下3Aカルガリーからアロンゾ・パウエルを獲得。パウエルは、出場機会を求めており、中日移籍は“相思相愛”だった。94年からは3年連続でセ・リーグの首位打者に輝く活躍を見せるなど、中日の主軸として6年、最後の1年(98年)は阪神でプレーした。

 今でも忘れられないのは日本での初めての試合だね。ナゴヤ球場での巨人戦だった(92年5月23日、中日5対4巨人。三番・右翼で出場し5打数無安打)。相手の巨人は中日の宿敵だし、スタンドは満員だったし、とても興奮したことを覚えている。

 ただ、一番の思い出といえば、やはり94年10月8日のナゴヤ球場の巨人戦だね。首位に並んだまま公式戦最終戦で激突し、勝ったほうが優勝というあの試合だよ(10.8)。日本のプロ野球の歴史で最も大きな試合のひとつだろうね(中日3対6巨人で巨人がリーグ優勝。五番・中堅で出場し3打数2安打)。残念ながら負けてしまって、僕にとっては輝かしい日本での7年間で最も悔しい経験だったけど、あの試合に出場できたのは最も素晴らしい経験だった。

 試合のほかにも日本の球場には多くの思い出があるね。まずは98年に移籍した阪神の本拠地、甲子園。観客の熱気とあの雰囲気は本当にすごかった。それに打者としても甲子園はいい球場だった。広島(市民球場)も打者にとっていい球場だったよ。もちろん、横浜(スタジアム)も神宮も東京ドームも、みんな僕にとってもいい思い出ばかりだけどね。

 日本でプレーを続けていく中で感じたのは、やはりアメリカと日本では・・・

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