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KEYMAN INTERVIEW

西武・内海哲也インタビュー 燃え続ける闘争心。 「優勝のために1勝でも多く挙げることしか考えていません」

 

西武連覇のカギを握る男の“声”をまずはお届けしよう。人的補償による移籍で西武の一員となった内海哲也菊池雄星が抜けた穴を埋める存在として期待されているベテラン左腕を2007年から10年まで巨人ヘッドコーチを務め、内とともに3回のリーグ優勝を遂げた伊原春樹氏が直撃した。
聞き手=伊原春樹[野球解説者] 構成=小林光男 写真=大泉謙也


移籍を告げられたときはショックだった


伊原 新しいユニフォームはどう? まずはライオンズのユニフォームを着て過ごす日々で感じたことを教えてください。

内海 すごく和気藹々(わきあいあい)としていますし、みんな仲がいいですね。その輪の中に入れてもらって、非常に楽しく練習しています。

伊原 そうしてくれるのはテツの性格の良さもあるんじゃないのかな。

内海 そうだとうれしいです(笑)。

伊原 ライオンズで何か新しい発見はあった?

内海 それがあまり感じていないんですよね。どこの球団も一緒なんだな、と。ただ、イメージより練習で走るなと思いましたね。

伊原 ジャイアンツも結構、走るじゃないか。

内海 そうですね。でも、ライオンズはもう少し練習量を抑えたキャンプなのかなと思っていたのですが、ジャイアンツより走るなという印象です。そこはすごくびっくりしたところですね。

チームにはすっかり溶け込み、練習にも熱が入る


伊原 ライオンズの投手陣は昔から走る量は多い。昨年まで中日で監督を務めていた森繁和がライオンズでコーチをしていたときから、投手のケツをたたいてよく走らせていたから。それが伝統になっているんだろう。ところで、人的補償でライオンズ移籍が決まったときの率直な思いはどうだった。

内海 ここ2、3年は一軍で活躍できていなかったので、プロテクトから漏れているのでは……と半分半分くらいの気持ちでいました。でも、実際に言われたときは結構、ショックでしたね。

伊原 そりゃそうだよな。お祖父さん(内海五十雄氏)がジャイアンツに在籍していたこともあり、高校3年のときドラフトでオリックスの1位指名を蹴って、東京ガスを経てジャイアンツに入ったくらいだからな。ショックだったのは分かる。

内海 それは本音ですね。

伊原 ジャイアンツ時代、テツのピッチングで印象深かったのは甲子園の阪神戦で頭に死球を受けたときだ。

内海 それはボーグルソンからですね(2007年9月19日)。

伊原 いったんはベンチに下がったけど、「大丈夫です」といって打席に立ったんだよな。圧巻だったのはその裏。赤星憲広、シーツ、金本知憲から3者連続三振を奪ったから。それで勝利も挙げた。それと、またほれ直したのが09年だ。

内海 日本ハムとの日本シリーズですか。

伊原 王手をかけて迎えた第6戦(札幌ドーム)。第2戦で先発したけど3回途中4失点KOを食らっていたからこの一戦で、先発の機会を失ってしまっていたんだよな。でも、初回二死、先発の東野(東野峻)が打球を右手甲に受けて降板。そこでテツが緊急登板でマウンドに上がって、6回途中まで無失点と日本一に貢献してくれた。本当に気持ちの強さ、闘争心は素晴らしいよ。

内海 やるからには、闘争心だけは持っていないとダメですから。それがなくなったらユニフォームを脱ぐときだと思います。確かにここ2、3年は活躍できなくて引退も頭をよぎりました。特に去年は一軍で鳴かず飛ばずだったらクビだろうなと思っていましたね。でも、去年二軍にいるときも「一軍の舞台に絶対に戻る」と、強い気持ちだけは失っていませんでしたから。

小谷コーチとの取り組みで復活のきっかけをつかむ


伊原 それとテツは練習での姿がいいんだよな。走る格好はぶさいくなんだけど、ユニフォームを真っ黒にして一生懸命にやる。

内海 (笑)。

伊原 そうやって、わいわいやってジャイアンツでは引っ張っていっていた。いまライオンズ投手陣の中心は?

内海 増田(増田達至)が選手会長でいるので。引っ張ってくれていると思います。

伊原 テツにはライオンズでは精神的支柱になってもらいたい。野球に対する姿勢を若手が見て、どう感じるか。ライオンズがテツを獲得した理由の一つとして、そういう点もあったと思う。

内海 そうですね。引っ張るというより、僕の野球に対する取り組む姿勢を見てほしいと思います。とにかく、僕はまずは戦力として、ライオンズのために力になりたいと思っていますから。

伊原 今のところ、ヒジ、肩、腰とかは大丈夫だろ?

内海 はい、問題ありません。

伊原 どっちかというと、むちゃくちゃ体にバネがあるほうじゃないからな。ガンガンやっても、肉離れを起こさない。

内海 そうですね(苦笑)。

伊原 足の速い選手は逆に肉離れを起こしたり、ふくらはぎを痛めたりする。そういえば去年は5勝だったけど、7月31日のDeNA戦(横浜)では4年ぶりの完封勝利を挙げたな。

内海 小谷(小谷正勝)コーチと話し合って、ゴロ送球を繰り返す取り組みがいい方向へ行きました。例えばショートゴロを打ってもらって、それを捕球してファーストへ投げる。“動”から“動”への動きで上半身と下半身のバランスを合わせていくんです。

伊原 セカンドからサードへの送球は?

内海 両方やりました。初めはバラバラなので、いいボールが行かないんです。でも、やっていくうちにバランスが合っていく。その後にピッチングをすると、いいイメージが残っているので上半身と下半身のバランスが合っているんです。それで、生き返ったようなボールを投げることができました。真っすぐもヒューンと回転が良くなって、ボールが垂れることがない。それが結果にもつながりました。

伊原 なるほどな。

内海 固まっていた動きから体を大きく使う。土起こしじゃないですけど、それを思い出させた感じです。本当にフォームのバランスが良くなったと思います。

伊原 投手も、打者もバランスが一番大事。そこが崩れたら、どんどん崩れていくからな。バランスを整えることができた去年は本当にいい経験をしたんだな。

自分の中にある非常に大きな期待感


伊原 それで今年は主にパ・リーグが相手になる。交流戦で対戦経験があるけど対策は?

内海 セ・リーグはチーム単位で投手を攻略してくるイメージですが、パは違いますね。個の能力が高くて、初球からぶんぶん振ってくるイメージがあります。だから、パを相手にするときは初球から勝負球のつもりで投げていかないと痛い目に遭う。裏を返せば初球でアウトを取れる可能性が高くなるので、イニングも伸びるでしょう。でも、いいこともある半面、ドツボにはまると悪い結果になるのかなとも思います。

伊原 テツは交流戦で通算22勝をマークしているじゃないか。防御率も2.81といい数字を出している。いま言ったようなことを実践していた結果なのかな。

内海 はい、そうですね。

伊原 確かにパの打者は初球から積極的に振ってくる。そこで効くと思うのはテツの“これ”だよ。

内海 チェンジアップですね。

伊原 そう。去年、開幕直前にタイガースからライオンズに加入した榎田大樹も同様。スピードはないけど、右打者の内角を厳しく突いて、そのあとのチェンジアップが有効だった。それと、パにはDHがある。そこがセとの大きな違い。セは5回くらいまで来てビハインドで投手が打席に立ったら……。

内海 代打を出されます。

伊原 ところがパはビハインドでもそこそこのピッチングをしていれば代えられない。それと、セは捕手の打力も弱い。投手も打席に立つから八番、九番には8割くらい投球で済んだかもしれないけど、パではそうはいかない。味方打線だけど、ライオンズで言えばサンペイ(中村剛也)が七番、八番を打ったことがあったくらいだからな。本当に一番から九番まで息が抜けないと思うよ。

内海 パ・リーグはどの球団も強いので、不安な部分もいっぱいあります。でも、呼んでいただけたのはうれしいですし、期待されるというのはここ何年もなかったことなので意気に感じて頑張ろうと思います。

伊原 期待感も自分の中にあるんじゃないか。

内海 はい。本当に去年はずっと状態が良くて、二軍でも抑えていましたからね。ライオンズは打線もいいので、自分の中ではいけるのではないかという期待を持っています。

伊原 本当にいいチャンスをもらったわけだから、去年のイメージを持続して頑張ってほしい。見返すと言ったら言葉が過ぎるかもしれないけど、最低10勝くらいはして、「内海をプロテクトから外すんじゃなかった」とジャイアンツに思わせるくらいのピッチングをしてほしいよ。

内海 すごく緊張もするし、プレッシャーもかかると思いますけど、シーズンが楽しみです。

伊原 辻(辻発彦)監督に言っておこうか?「交流戦のジャイアンツ戦の頭は内海で行かせたほうがいいぞ」と(笑)。

内海 いえいえ(笑)。とにかく、ライオンズの優勝のために1勝でも多く挙げることしか考えていません。

【取材後記】

 すごくいい表情をしていたから安心したよ。でも、テツも4月で37歳になるんだな。上の子どもが小学5年生だというから時が経つのは早いよ。テツは4人の子どもがいて、一番下は春から幼稚園の年長さん。その子が「パパはプロ野球の投手だった」と脳裏に焼き付くようなところまで頑張ってもらいたいものだね。でも、テツは投球術を持っているから、その可能性は十分にある。ライオンズのユニフォームで1年でも長く、マウンドで躍動する姿を見ていたいよ。


PROFILE
うつみ・てつや●1982年4月29日生まれ。京都府出身。敦賀気比高、東京ガスを経て2004年自由獲得枠で巨人入団。06年に初めて2ケタ勝利を挙げると07年から09年、12年から14年と2度のリーグ3連覇に貢献。12年には日本シリーズMVP。日本代表として09年、13年のWBCに出場し、11年には18勝、12年には15勝をマークして連続で最多勝を獲得。07年には最多奪三振のタイトルにも輝いている。18年オフ、巨人へFA移籍した炭谷銀仁朗の人的補償で西武の一員となった。

いはら・はるき●1949年1月18日生まれ。広島県出身。北川工高(現・府中東高)から芝浦工大を経て、71年ドラフト2位で西鉄入団。76年巨人に移籍し、78年古巣ライオンズに復帰して80年限りで現役引退。通算成績は450試合出場、打率.241、12本塁打、58打点。81〜99年に西武で守備走塁コーチを務め、西武黄金時代の名三塁コーチとして高い評価を受ける。2000年阪神コーチ、01年西武コーチから02〜03年西武監督、04年オリックス監督を歴任。07〜10年巨人ヘッドコーチを務め、14年は西武監督。現在は野球解説者として活躍している。
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