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日本一のコレクター・立花龍司(元近鉄、メッツほかコンディショニングコーチ)が語るユニフォーム“愛”

 

コレクションは300以上を数えるが、自分でも正確な数を把握しきれていない。コンディショニングコーチとして1989年に近鉄に入団し、97年には日本人初のメジャー・リーグのコーチも務めた男は“生粋の野球好き”。本人から譲り受けてきたユニフォームの数々は、その“思い”の象徴でもある。収集の理由や、ユニフォームの素晴らしさ─。今なお続けるコレクションへの“愛”を熱く語った。
取材・構成=鶴田成秀、写真=高塩隆

コレクションは日本球界にとどまらない。立花氏が手にするのはレンジャーズ時代のノーラン・ライアンのユニフォームだ


現実世界の“ヒーロー”


 ユニフォームはプライドを映し出すものだと思うんです。それは野球に限った話ではありません。チームのユニフォームを着るということは、誰でもできることではなく、チームに属す“選ばれた者”であり、“同じ志を持つ者”であるからこそ着ることができる。だからこそ“プライド”が生まれると思うんです。プロであろうと、アマチュアであろうと、必死でやっている選手が着ているユニフォームは、すべて輝いている。私のユニフォームの収集はプロに限らず、全国の小中学校のチームにまでわたっているのは、そのためなんです。選手一人ひとりにドラマがあり、そしてプライドを表すものがユニフォームだと思っています。

千葉・習志野、大阪・熊取で自ら営む『タチリュウコンディションングジム』にもユニフォームがズラリと並ぶ


 今でこそ、そう思う僕ですが、実は幼いころは野球が“嫌い”だったんです。なぜなら僕の“ヒーロー”を邪魔する存在だったんですよね。

 男の子なら誰しも一度は“ヒーローモノ”のマンガやアニメにあこがれた時期があると思います。幼いころの僕もその一人。週末になれば、夕方から30分枠のテレビアニメが何本も立て続けに放映され、僕も夢中になっていたものです。でも、僕が育った大阪が位置する関西地方では、甲子園で阪神巨人が行われると、テレビ中継が必ずあった。となれば、アニメの放送は中止になる。楽しみだったヒーローを奪う憎い存在が“野球”だったんです。

 一方で、父親は大の野球好きだった。そんな父親に「大阪球場に野球を見に行こう」と誘われたのも、小学校低学年のころで、僕は迷うことなく断りました。それでも父親はずっと誘い続けてくる。だから交換条件を出したんです。当時、大阪球場の近隣に百貨店高島屋があったので「帰りに高島屋で、おもちゃを買ってくれるなら見に行く」と。父親は渋々、条件を受け入れ、『南海対太平洋』の試合が行われる大阪球場へ──。

 そこで目にした光景も“野球嫌い”に拍車をかけるものでした。大人たちが必死に一塁へ走り、アウトになると情けない顔でベンチに戻ってくる。その繰り返しで試合が進んでいくんです。アニメの中のヒーローにあこがれていた当時の僕とって、その姿を目にして「何がオモロいねん」と思っていたものでした。

 ただ、一瞬にして心を奪われる出来事が起こるんです。現在のようにトランペットの音色が響かぬ球場の中、木製バットの乾いた打球音を残して、白球がスタンドへ消えていく。それまで必死に走っていた選手とは違い、ゆっくりベースを回って小さくガッツポーズ。本塁打を放ったのは・・・

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