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ドラフト最前線REPORT

「田澤ルール」撤廃の背景

 

田澤純一は横浜商大高から入社4年目の2008年、新日本石油ENEOSのエースとして都市対抗制覇。決勝2日後の記者会見では、自身の希望進路を表明した/写真=BBM


 2008年9月11日。新日本石油ENEOSのエースとして13年ぶりに都市対抗優勝を遂げ、橋戸賞(MVP)を受賞した2日後、田澤純一の決断は日本球界に衝撃を与えた。

 MLB挑戦――。ドラフト1位候補がNPBを経由せずに海を渡るという、かつてない選択肢だった。田澤サイドは12球団宛に、ドラフトでの指名を見送るよう求める文書を送付した。もちろん、この要請に強制力はなく、強行指名も可能であった。しかし、10月30日のドラフトで「田澤純一」の名前が読み上げられることはなかった。渡米への決意は固く、覆すのは難しいと判断したのである。田澤は12月、レッドソックスとメジャー契約を結んでいる。

 当時、NPBはドラフトの「形骸化」を危惧していた。NPBとMLBには、有力選手を獲得しないという“紳士協定”がある。NPBはアマチュア有望選手の流出を阻止するための措置として、10月8日の実行委員会で、12球団の「申し合わせ事項」を確認。ドラフト指名を拒否して海外のプロ球団と契約した選手は、海外球団を退団した後も、一定期間(高卒選手は3年間、大学・社会人出身は2年間)はNPB球団と契約できない復帰制限を承認したのだ。

 田澤はあくまでも、純粋にMLBで自身の実力を試したかったわけであり・・・

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