一度も負けることなく、5試合すべてに勝利して金メダルをつかんだ。大きな重圧の下、それでも日本代表が最高の結果を残すことができたのはなぜか。2004年のアテネオリンピックで守備走塁コーチを務めた高木豊氏の視点。 構成=牧野正 写真=JMPA メンバー全員がそれぞれの役割を果たし、悲願の金メダルを獲得。写真はベンチ前で円陣を組むグループステージのメキシコ戦
指揮官の信念
稲葉篤紀監督の下、全員が金メダルという一つの目標に向かって、同じ方向を向いていたことが大きかったと思います。稲葉監督の信念が最後までブレませんでした。代表選考からそうでしたし、四番を任せた
鈴木誠也(
広島)の起用にしてもそう。不調でも待った。自分なりに考え、これがベストと思う人選、采配を貫いた。責任はすべて自分が取ると腹を括っていたのだと思います。スタメンは打順も含めてほぼ固定。固定することで各自に自覚と責任を持たせ、選手たちはその責任をしっかり全うしようと全力を尽くした。その結果が金メダルだったと思います。
ドミニカ共和国との開幕戦を勝てたのが大きかった。国際大会の初戦というのはどうしても選手はもちろん、監督やコーチも硬くなってしまうもの。打者はファーストストライクをなかなか振っていけなかったし、稲葉監督も好投していた先発の
山本由伸(
オリックス)を6回で降板させたり、三塁コーチャーが
山田哲人(
ヤクルト)を本塁に突入させたりとミスが目立った。敗色濃厚の中で相手のミスから逆転サヨナラ勝ち。結果的にこれで勢い、流れをつかんだような気がします。
今回は負けてもまだチャンスが残されているというルールでしたが、結果的に一度も負けることなく5戦を勝ち抜いたことも金メダル獲得のポイントだったと思います。ノックアウトステージでアメリカと戦ってサヨナラ勝ちしましたが、もしあそこで負けていて決勝の相手がまたアメリカだったら、どうだったか。アメリカは自信をつけ、日本には嫌な感じが少なからず残ったように思います。アメリカに勝ち切った自信が決勝へつながっていたのは間違いありません。そういう意味では・・・
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