週刊ベースボールONLINE

変化球特集「落とす」を極めろ!

<TIME TRAVEL>フォークは日本球界の「伝家の宝刀」だ! 歴代名手がつないだ世界への道

 

フォーク(スプリット)は、ほかの変化球とは少し違った歴史がある。日本人選手の中で磨かれ、独自の進化を遂げ、MLBで戦う日本人投手たちの最大の武器にもなっている。ここからは過去の使い手たちの逸話を紡いでいこう。

中日ほかの杉下茂氏。指の間をボールが通るまで開けるか試したのか


キーマンとなった神様


「伝家の宝刀」という言葉には、その家に代々受け継がれてきた名刀の意から転じ、いざというときの奥の手的な意味合いもある。若いころ、この言葉をピッチャーの決め球の変化球によく使っていたが、いつも大先輩編集者のOさんに、「決め球の」とか「得意の」と赤字で修正された。こちらからはっきりと聞き返したことはないが、「代々受け継がれているわけではない」か「奥の手というほどじゃないだろ」のどちらかだろう。前者の意なら、Oさんにも赤字を入れられないと思うのが、「日本球界の伝家の宝刀フォークボール」という表現である(「大げさな表現だ」とやっぱり赤字を入れられるかもしれないけれど……)。ほかの変化球とは違い、球史の中で脈々と受け継がれてきた系譜があるからだ。

 源流は、元中日ほかの杉下茂、フォークボールの神様である。明大時代、技術顧問の天知俊一(のち中日監督)に「人さし指と中指で挟んで投げてみろ」とだけ言われて投げ始め、実戦では1949年の中日入り後、本格的に使い始めた。ただ、当時、ナックルを投げるピッチャーはいたが、フォークの使い手はほとんどおらず、言葉自体も一般的ではなかった。杉下自身が何も言わなかったので、「おかしな変化をする球を投げているな」と思われていたという。

 フォークと“バレた”のは、51年のシーズン前、杉下が巨人川上哲治らとアメリカのサンフランシスコ・シールズのキャンプに参加したあとだ。打撃練習に登板して、アメリカの選手に大きな当たりをされたことにムカッとしてフォークを投げたら誰も当てることができなかった。

「それでシールズのオドール監督から『それはフォークじゃないか』と言われ、『そうですね』と答えたんですが、これを松竹の監督を辞めたばかりで読売新聞の特派で来ていた小西得郎さんが聞いていて記事にしたので、日本でも『杉下がフォークを投げている』とバレたわけです」

 杉下はこのときシールズと契約し、アメリカにとどまる話もあった。フォークを武器にした日本人メジャー第1号となる可能性もあったわけだ。

 ただ、帰国後、フォークはほとんど投げていない。ストレート勝負へのこだわりもあって、フォークは邪道と思ったのだ。唯一、打撃の神様・川上相手だけには積極的に投げ、「キャッチャーが捕れん球を打てるわけがない」と言わせたこともあった。

 完全に無回転になったときは、中腰になった捕手の顔を狙うと、ベースあたりに落ちたというすさまじい落差だった。キャッチャーが捕れなかったり、ボールを体に当てケガをしたりというのもよくあったという。

 一度だけフォークを連投したのが、54年の日本シリーズ第7戦だった。連投で疲労困憊(こんぱい)。握力がなくなってカーブが投げられなかった杉下はカーブの代わりに変化の少ないフォーク、今で言うスプリットを多投し・・・

この続きはプレミアムサービス
登録でご覧になれます。

まずは体験!登録後7日間無料

登録すると、2万本以上のすべての特集・インタビュー・コラムが読み放題となります。

特集記事

特集記事

著名選手から知る人ぞ知る選手まで多様なラインナップでお届けするインビューや対談、掘り下げ記事。

関連情報

新着 野球コラム

アクセス数ランキング

注目数ランキング