選手一人ひとりに寄り添い、生きた教本となった。山岡泰輔を筆頭に、若手投手陣の力を引き出した2年間。温かく、時に厳しく接してきた男が、“日本一”を叶えてユニフォームを脱いだ。 取材・文=米虫紀子 写真=宮原和也 厳しく接した相手
11月3日に御堂筋で行われた
オリックスの優勝パレード。見納めになるであろう『背番号26』のユニフォームを着てオープンカーに乗った能見篤史は、穏やかな微笑みをたたえながら、沿道の約30万人の祝福に、手を振って応えた。
9月16日の引退記者会見では、「本当に悔いなく、18年という長い現役生活をやりきった」と清々しい表情で語っていたが、「やり残したことは?」と聞かれると、こう答えた。
「日本一は獲っていない。そこはまだ獲れるチャンスがあるので、(残りの現役生活で)一番の目標かなと思います」
現役最後にその“日本一”の称号を手にして、ユニフォームを脱いだ。
日本シリーズでは出場資格者40人の中に登録され、第5戦ではベンチ入りもしたが、登板機会はなかった。だが、投手力で勝ち取った日本一である。オリックスでの2年間、能見が選手兼任コーチとして後輩たちに寄り添い、飛躍のヒントを与え続けた成果だった。
同じ左腕の
宮城大弥や
田嶋大樹とはこまめに会話し、精神安定剤のような存在になっていた。今年は山岡泰輔のキャッチボール相手を毎日務め・・・
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