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FA制度30年

FA制度30年 各球団の補強&流出事情を検証する【中日・ヤクルト・広島】

 

今年も移籍市場は話題が豊富だ。フリーエージェント(FA)制度がスタートしたのは1993年であり、今年で30年目を迎えた。今年のストーブリーグの状況を整理するとともに、あらためて、12球団のFA補強と流出の歴史を振り返ってみたい。
※移籍に関する年度表記はすべて当該シーズンのオフ。情報は11月13日現在

中日・獲得は慎重も監督の熱意が大。投打の柱2人がメジャーへ挑戦


谷繁[写真中]の入団会見。左は山田久志監督[当時]。最初の背番号は7だった


 獲得と流出のバランスを見ると、流出のほうが人数が多く、全体的にもマイナス感は否めない。ただし、武田一浩谷繁元信和田一浩の加入は優勝へとつながっている。特に2002年に同じセ・リーグの横浜から宣言した谷繁の獲得は大きかった。落合博満監督の下でマスクをかぶり、4度の優勝に貢献したのちに監督の座にも就いた。

 一方でヤクルトで最多勝を獲得し、巨人キラーとして知られた川崎憲次郎は右肩痛に悩まされ続けて戦力にならず。最大のサプライズが4年ぶりの登板となる04年の開幕投手だったのはあまりに寂しいものだった。期待が大きかった分、失望も大きく、中日のFAを振り返るとき、必ず出てくる選手でもある。

 チームの流出第1号となったのは落合博満。当初は残留予定だったが、宣言して巨人へ移籍。07年オフには福留孝介が、08年オフには川上憲伸がメジャーへと挑戦。投打の柱だった2人の流出はチームにとっては大打撃だったが・・・

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