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WBC特集 あの感動よ、もう一度【回顧編】

内川聖一 WBC回想インタビュー 立ち位置を決めた1本の二塁打「優勝の瞬間は興奮で記憶が飛んでるんです。それぐらいうれしかった」

 

天国と地獄を見た3度のWBC。世界一だけを目指して戦った大舞台で、球界屈指のヒットマンは何を経験してきたのか。出場した3大会を振り返るとともに、侍ジャパンへのエールも送ってくれた。
取材・文=平尾類 写真=BBM

3大会で18試合に出場。大会通算打率.333と国際舞台でも巧みなバットコントロールで存在感を発揮した


一度は落選を覚悟


 内川聖一は横浜(現DeNA)、ソフトバンクヤクルトでプレーし、昨季限りでNPBの第一線を退いた。通算2186安打をマークした安打製造機は、故郷の独立リーグ・大分B-リングスに入団。3月18日の開幕に向けてコンディションを整えている。

 内川を語る上で、WBCは欠かせない。これほど野球人生が左右された選手はいないだろう。2009、13、17年と日本人最多タイの3度本大会に出場したが、歓喜の絶頂を味わい、大きな挫折を味わってとめどなく涙を流したときもあった。

「WBCは野球の喜び、うれしい場面を味わせてもらった大会。それと同時に自分のミスで負けるという一番ツラかった経験もさせてもらって……。当時は侍ジャパンに選ばれることが名誉だったし、日の丸をつけて戦う意味をかみしめていましたが、NPBの一線を退いた立場からすると、『もう一回どうぞ』となっても今の精神状態ではあの緊張感は耐えられないですね」と穏やかな笑みを浮かべる。

 連覇を飾った09年大会に出場したときは26歳。中島裕之(西武)、片岡易之(西武)、亀井義行(巨人)とともに野手最年少だった。決勝・韓国戦の攻守にわたる活躍を含めて大会連覇のシンデレラボーイになったが、侍ジャパンの合宿で代表から落選すると思っていたという。

「実は、宮崎の合宿中にシート打撃を含めて実戦で1本も打っていないんです。『これはまずいな』って感じていて。今でも忘れもしないのは、宮崎合宿最後の練習試合・巨人戦です。雨が降っていて『この回で終わります』ってなったときに、2アウトで打席が回ってきたのですが、見逃し三振で終わって、『もう厳しいな』と代表に選ばれない覚悟をしました。この試合は両親や友人も観戦に来ていたのですが、落選したと思ったみたいで、気を遣って会わずに大分に帰ろうとしていました。試合後のミーティングで選ばれたことが分かり、すぐに連絡したところ、帰路の高速道路を降りて祝いのケーキを買って会いに来てくれたほどでした」

 前年の08年に右打者最高打率.378をマークして首位打者を獲得。大ブレークし、侍ジャパンの本戦メンバーに選ばれるのは順当と周囲は思っていたが、本人の見方は違う。「08年しか活躍していないので。それまで横浜でレギュラーでもなかったし、積み上げたものがない。侍ジャパンの合宿ですごいメンバーの方たちばかりだったので、緊張感がすごかった。正直自分はできないって思ってしまった」と自信を持てないでいたという。その気持ちを解きほぐしてくれたのが、イチロー(マリナーズ)だった。

 二塁で走塁練習中の出来事だった。イチローに突然・・・

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