2006年、09年とWBCで連覇を成し遂げた日本代表。果たして、世界の頂点までたどり着いたチームをコーチはどう見ていたのだろうか。まずは第1回大会で内野守備・走塁コーチを務めた辻発彦氏に当時を振り返ってもらった。 取材・構成=小林光男 写真=BBM 第1回WBCで世界一に輝いた日本代表。みんないい笑顔を浮かべている
王監督の右腕を預かっている気持ちで
まだ手探りの状態だった2006年の第1回WBC。第1ラウンドでは球場に空席が目立つなどしていたが、第2ラウンドのアメリカ戦でのデービッドソン球審の“誤審”から流れが変わる。韓国に敗れ準決勝進出の可能性が限りなく低くなったが、メキシコがアメリカに勝利する奇跡で決勝ラウンドへ。日本国内でも盛り上がりが高まると、準決勝で韓国にリベンジし、決勝ではキューバを破り、日本が初代覇者に。内野守備・走塁コーチを務め、ドラマの渦中にいた辻発彦氏は、世界一への中心人物に、やはりあの男の名を挙げた。 クールなイメージが一変しました。第1回WBCで最も印象に残っているのは、
イチロー(マリナーズ)の“熱”でしたね。東京での第1ラウンドを勝ち上がり、第2ラウンドに進んだ日本。アメリカ・アナハイムでの初戦の相手がアメリカでした。メジャー・リーガーと戦うことなんて、あまりない経験。選手はみんな、どこかフワフワしたような気持ちになっていたと思います。だけど、誰かがジーター(
ヤンキース)とニコニコ笑ってあいさつを交わしたらイチローが怒りました。「ジーターはしたたか。そういうのが手なんだから」と。イチローは本気でアメリカ代表に勝ちたいと思い、いきなり初回に先頭打者本塁打ですから。すごいもんですよ。本当にオーラがありましたし、それだけではなく誰よりも球場に早く来て準備をし、試合では必死になってプレーする。その姿に誰もが影響されたのは間違いありません。
イチローでは印象深い走塁もありました。決勝のキューバ戦です。日本代表が3点リードで迎えた5回表、無死一、三塁のチャンスを迎えました。三塁コーチャーだった私は・・・
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