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巨大戦力で世界一へ Enjoy the Dodgers

野茂英雄からダルビッシュ、筒香まで 過去の「日本人ドジャー」を総ざらい

 

MLB公式戦に出場した日本人メジャーは2023年終了時点で67人。球団別の最多は14人のメッツだが、ドジャースは今年、大谷翔平山本由伸が出場した時点でマリナーズと同数の2位に並ぶ。かつては日本人にとって、メジャーと言えばドジャース。ここでは先駆者の9人を振り返る。
写真=Getty Images

1995年に野茂英雄がドジャースに入団[右はオマリー会長]。ここからすべてが始まった


野茂の活躍は社会現象だった


 日本でルーキーイヤーから4年連続最多勝、ルーキーイヤーにMVPと沢村賞など数々のタイトルを手にした野茂英雄は、94年オフになると5年間所属していた近鉄球団ともめた。ここはその詳細を記す場ではないので省くが、とにかく日本球界のエースが半ば強引な形でNPBを「任意引退」となり(現在は協約が改正され、任意引退した選手は世界各国のプロ野球球団と契約できない)、95年2月13日にドジャースとマイナー契約を結んだ。その時点では野茂のメジャー・リーグ挑戦に冷やかな目を向ける球界関係者は多く、その行動を「わがまま」と論じる向きもあった。

 しかし、野茂は実力で雑音を封じ込んでいく。前年のMLB選手会による長期ストライキの影響で1カ月近く開幕が遅れたが、開幕からチーム7試合目にあたる5月2日のジャイアンツ戦に先発した野茂は5回を1安打無失点7奪三振に抑え、上々のデビュー。

1995年5月2日、サンフランシスコでのジャイアンツ戦でドジャース・野茂は記念すべきメジャー初登板


 6月2日の本拠地のメッツ戦でメジャー初勝利を挙げると、同14日のパイレーツ戦では球団新人最多記録の1試合16奪三振。同24日のジャイアンツ戦では日本人初の完封勝利。シーズン前半を13試合で6勝1敗、防御率1.99の好成績で折り返すとオールスターゲームに選出され、先発投手を務めた。

 結局、野茂のメジャー1年目は13勝6敗。防御率2.54はリーグ2位、236奪三振、3完封はリーグ最多を記録した。新人王に選ばれるのも当然の活躍だった。

 日本の野球ファンは野茂の活躍に快哉を叫び、普及しつつあったBS放送でメジャー・リーグの試合の生放送を朝から観戦するのが習慣化した。トミー・ラソーダ監督やマイク・ピアザ捕手は日本でも有名になった。95年は1月に阪神淡路大震災、3月に地下鉄サリン事件が起こるなど暗い世相だったが、「ドジャース・野茂がメジャーの打者から三振を奪いまくる爽快な姿」は人々を夢中にさせ、一種の社会現象に。95年夏は日本国内でも背中に「16」と大きくプリントされたドジャー・ブルーの「野茂Tシャツ」が流行し、身に着けて街を歩く若者が多かった。

 翌96年は9月17日のロッキーズ戦で初のノーヒットノーランを達成するなど、野茂は16勝11敗、防御率3.19、234奪三振と2年連続で超一流の成績を残し、1年目がフロックでないことを証明。その秋に日本で開催された日米野球では全米オールスターチームの一員として凱旋帰国した。

 ところが、97年オフに右肘の手術を受けた野茂が98年序盤に2勝7敗、防御率5.05と不調に陥り、6月4日にトレードでメッツへ移籍。野茂の「第1次ドジャース時代」はここで終了する。

 野茂はメジャーでリーグMVPも、最多勝や最優秀防御率といった主要な個人タイトルも獲得していない。そういう意味では、のちのイチロー(マリナーズ)、大谷翔平(前エンゼルス)とは異なる。しかし、野茂のメジャーでの活躍が社会に与えたインパクトや後世の野球界に残した影響は突出している。

前半戦だけは無敵の石井一久


 ドジャースにとって3年間の日本人空白期間を経て、野茂に続く2人目の「日本人ドジャー」となったのは石井一久。前年の01年にヤクルトで日本一に輝いた石井はイチローに次ぐ2人目のポスティングシステムを利用してのメジャー移籍。同じタイミングで野茂も古巣ドジャースに復帰することが決まり、2人は並んで入団会見に臨んだ。

 石井は初先発となった4月6日のロッキーズ戦で6回を2安打に抑えて初勝利を挙げ、開幕6連勝と好調なスタートを切ったが、後半戦は防御率5.57と不調に陥った。9月8日のアストロズ戦では頭部に打球を受けて頭蓋骨の亀裂骨折と重傷を負い、シーズンを終えた。

 背番号が「10」となった野茂は逆に5月17日からシーズン終了まで14勝1敗の活躍で、6月21日のレッドソックス戦でメジャー通算1500奪三振を記録。16勝(6敗)は自身メジャー最多タイで、勝率.727は自己最高と健在ぶりを示した。なお、野茂、石井どちらもNPB時代から与四球の多さが知られているが、この年は石井が106与四球、野茂が103与四球と、MLB全体の1、2位を独占した。

 03年は野茂がタイガース時代の00年以来2回目の開幕投手に指名され、開幕戦となった3月31日のダイヤモンドバックス戦でランディ・ジョンソンと投げ合い、完封勝利。4月20日のジャイアンツ戦でメジャー通算100勝を達成するなど、この年も16勝13敗、防御率3.09の好成績を残した。

 石井は8勝3敗、防御率2.94の好成績で前半戦を終えたが、左膝のじん帯を損傷して故障者リスト入り。最終的には9勝7敗の成績に終わった。また、この年は木田優夫投手もドジャースに加わった。木田は99年に自身初のメジャーとなるタイガースに入団し、翌00年には同球団に移籍した野茂と同僚となったが、01年にオリックスで日本球界復帰。02年はどこの球団にも所属せず、03年はドジャースと契約を結んだが春季キャンプ中に交通事故に遭遇し、この年は3試合登板で0勝1敗。翌04年はシーズン中にマリナーズへ移籍した。

 同年の石井は2完封を含む13勝8敗というシーズン成績を挙げたが、そのうち10勝は前半だけで記録し、後半は調子を崩して中継ぎ降格、ポストシーズンのロースターからも外れた。2年連続開幕投手に指名された野茂は自己ワーストの10連敗を喫するなど、4勝11敗、防御率8.25と絶不調。結果的に、この04年が「ドジャース・野茂」のラストシーズンとなった(MLB最終登板はロイヤルズ時代の08年)。偶然にも古巣・近鉄バファローズもこの年限りでオリックス・ブルーウェーブと合併し、球団は事実上消滅している。

 石井は05年の春季キャンプではドジャースにいたが、開幕直前にメッツに移籍。前年まで2年連続で3人が同時に在籍した日本人選手が消滅したかに見えたが、このシーズンは新たな日本人がドジャースに入団した・・・

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