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2014-2017 日本代表戦記

第1回「始まりはグリーンライト」

 

世界一奪回を目指す小久保ジャパンが、11月8日、ついに始動。平均年齢25.7歳と若返ったチームの中に、2017年への思いをひときわ強く持つ男がいた。
文=坂本匠[本誌] 写真=毛受亮介

 招集リストに内川聖一(ソフトバンク)の名前を見つけて心が躍った。現時点での実績、実力からすれば、当然のセレクト。2008年から14年まで、7年連続で打率3割をクリア、先の日本シリーズではMVPに輝く働きでホークスを日本一に導いてもいる。

 ただし、10月9日に発表された日米野球を戦うメンバーは、11月8日の集合までに数人の入れ替わりがあったものの、平均年齢25.7歳と若い編成。17年の第4回WBCを戦うことを大前提としており、32歳を迎えた内川は、その条件から選外となるとの見方が大勢を占めていた。しかし、小久保裕紀監督は始めから彼を中心に据える考えだったと言う。

「2017年の世界一奪還へ向けて、“柱”となるのは内川聖一。前回、彼は走塁がああいう形となって、WBCに対する思いは今も持ったままだと思います。もちろん、3年後も十分、日本の中心としてプレーできると判断しました」

 小久保監督が言う「前回」、そして「走塁」を説明するためには、時計の針を13年3月17日まで戻さなければならない。日本球界にとっては、屈辱の日、である。

 この日、侍ジャパンは第3回WBCの決勝進出をかけ、プエルトリコと準決勝を戦っていた。3点の先制を許して迎えた8回裏、1点を返し、なおも一死一、二塁のことだった。一塁走者は安打で出塁していた内川、二塁には井端弘和(現巨人)がいる。流れは決して悪くはない。続く四番・阿部慎之助(巨人)のとき、ベンチから走者にシグナルが送られた。「行けたら行け」。のちにベンチの決断力のなさや無責任采配などと、論争が巻き起こったいわゆる“グリーンライト”。結果はご存じのとおり、井端がスタートの構えを見せ自重するも、内川がこれに気付かず、飛び出して挟殺。チャンスをつぶした日本は、ここで大会を去ることとなる。

 あれから1年9カ月。侍ジャパンの練習初日(11月9日)、久々に代表ユニフォームに身を包んだ内川が、緊張の面持ちでヤフオクドームに姿を現した。WBCへの思いを聞いた。

「前回、ああいうミスがあって、負けてしまったというのは自分の中で引っかかっているところです。WBCの失敗、ミスはWBCでしか取り返せない。今回は日米野球ですが、17年へ向けて基盤を作る中での代表と小久保監督もおっしゃっているので、そのメンバーに選んでいただけて、本当にありがたいです。『17年のWBCまでしっかりやれよ』というメッセージだと受け取っていますし、元気にやっていきますよ」

▲練習中、人一倍大きな声を出す内川聖一



 思えば小久保ジャパンの発足も、侍事業に特化した新会社の設立も、すべては17年に世界一を奪回するため。そう、始まりはグリーンライトだった。
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