週刊ベースボールONLINE

平成ファイターズを語る

ミスターファイターズ 田中幸雄インタビュー 「いまも忘れられない北海道で初めて手にした優勝の喜び。ファイターズ一筋でプレーできたことは僕の誇りです」

 

パ・リーグを代表する大型ショートとして名を馳せた田中幸雄。球団の生え抜き選手では初の2000安打も達成し、ミスターファイターズとして多くのファンを魅了した。勝てなかった東京時代、また北海道で成し遂げた44年ぶり日本一の味も知る男に、激動の時代を振り返ってもらった。
取材・構成=松井進作、写真=BBM

パンチ力ある打撃で平成ファイターズをけん引した田中幸雄。勝負強さもピカイチだった


必死だった東京時代


 1985年秋のドラフトで日本ハムに3位指名されてプロの世界へ。入団2年目でイップスに陥りながらも、その才能を高く評価していた高田繁監督にレギュラーに抜てきされて一気に台頭。以降は平成ファイターズの中心選手として球界を代表する選手へと大きく成長した。野球人生を変えた出会い、万年Bクラスだった東京時代、予想だにしなかった北海道移転、2000安打達成など、22年に及んだ波乱万丈の現役生活の記憶をたどる。

 僕のプロ野球人生は多くの方に支えられての22年間でした。入団して2年目のシーズン、平成になる2年前の1987年にイップスになってしまって。それでも当時の高田繁監督がスタメンで使い続けてくれ、さらには内野守備コーチをされていた猿渡寛茂さんが付きっきりで守備の指導をしてくれました。合宿所に一緒に住まわれていたというのもありますが、デーゲームでもナイターでも関係なく、試合後にマンツーマンでね。あの時間があったからこそプロの世界でやっていく自信もつきましたし、こんなにも長く現役を続けられたと思っています。

 それ以降も5年目ぐらいまではとにかく毎日必死でした。宮崎の田舎の高校から東京に出て来て、何も分からないところからのスタートでしたし、最初はファイターズの選手のこともほとんど知りませんでしたから(苦笑)。当時はテレビ中継も巨人戦だけでしたしね。そんな中で無我夢中でやっているうちに試合に出していただけるようになり、実戦で失敗しながらも成長させてもらった。それはすごく恵まれていましたし、感謝の気持ちしかありません。

 ほかにも88年のシーズンからチームに加わった・・・

この続きはプレミアムサービス
登録でご覧になれます。

まずは体験!登録後7日間無料

登録すると、2万本以上のすべての特集・インタビュー・コラムが読み放題となります。

HOT TOPICS

HOT TOPICS

球界の気になる動きを週刊ベースボール編集部がピックアップ。

関連情報

新着 野球コラム

アクセス数ランキング

注目数ランキング