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追憶と哀愁のロストボールパーク

後楽園球場(1937年-1987年) 時代をリードしたスタジアム

 


 1959年の巨人阪神の天覧試合、74年、長嶋茂雄引退試合、王貞治の世界記録756号ホームラン……。

 名勝負、名場面は枚挙のいとまがない。37年の開場以来、7172試合のプロ野球公式戦をこなしてきた昭和プロ野球の象徴的な球場である。

 東京砲兵工廠跡地に建設された球場は当初「イーグルス」の本拠地球場でもあった。多角的使用をうたい、都市対抗野球が神宮から移った38年には新潟から雪を運び込み、スキーのジャンプ大会を開催したこともある。この流れは戦後、さらに東京ドームになっても続き、コンサート、プロレスなどの舞台となってきた。

 戦争末期には軍部に接収され、グラウンドは畑に、2階スタンドには高射砲が設置された。終戦後、今度はGHQに接収されたが、46年に返還。プロ野球再開後は娯楽に飢えたファンが詰めかけ、47年の東西対抗では観客を外野に入れ、その前に縄を張ったこともある。

 50年2リーグ制になると、巨人、国鉄(現ヤクルト)、大映、東急の4チームが共有。巨人と東急から球団名が変わった日本ハムは最後まで本拠地として使用し・・・

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