チームの劣勢時にマウンドに上がり、相手に流れを渡さない。度胸満点、キレ味鋭い真っすぐとスライダーを駆使し、阪神の強力中継ぎ陣の一角を形成した。チーム最多の61試合に登板し防御率1点台。育成上がりの小柄な左腕は、今やチームに欠かせない存在になった。 ※成績・記録は9月26日現在 取材・構成=椎屋博幸、写真=宮原拓也(インタビュー)、BBM 最低限の仕事はクリア
昨季の一軍登板は1試合のみ。二軍では中継ぎとして34試合に登板。当時の矢野燿大二軍監督が頼りにしていた左腕リリーバーだった。今季一軍監督となった矢野監督は、島本を一軍のリリーバーに抜てき。今季プロ入り初めて1年間一軍のマウンド立ち続け、チーム最多登板を果たした。 ――チーム最多となる61試合登板(9月26日現在)。疲れ知らずのイメージです。
島本 最終盤の時点では疲れはまったくなかったですね。9月初旬までは少し疲れはあったのですが、そこを乗り越えてから、本当に疲れはなくなっていました。
――疲労を軽減する方法を見つけたのでしょうか。
島本 これまでは練習メニューをしっかりとこなさいないといけないと思っていたのですが、疲れが出たときこそ、練習量を意図的に落としたりする調整をしてみました。また、しっかりと体のケアをしていました。そういうことをやっていったら、あるときスパっと疲れが取れたんです。
――それは朝起きたときに、これはいけるぞ! というような疲れの抜け方ですか。
島本 そういう感じではなく、キャッチボールをして「今日は状態がいい」というのが続いている感じです。
――練習量を減らすということを考えたのは、島本選手自身で思いついたのでしょうか。
島本 そこはトレーナーさんと話し合ったり、先輩方に「練習をしっかりやるのもいいけど、まったくやらない日を作ってもいいと思う」というようなアドバイスをもらいました。コーチの方にも聞いたりして、連投が続いたときには試合前練習を「すぐに終わっていい」という許可をもらったりしていました。
――疲れがたまっているときは、自分の中で「練習やり過ぎているなあ」と思うところはあった。
島本 実はそれを感じていました。先輩方が、すごく練習をする人ばかりなんです。その中で若手の僕が練習をしないというのは……という思いもあった中で、トレーナーさんや先輩にいろいろな助言をもらい「やり過ぎてもいけない」ということが分かり、実行することにしました。
――開幕から最後まで投げ切れる体力はある、と思っていましたか。
島本 いろいろな方から、1年間投げ続けることの厳しさを聞いていましたので、きついだろうな、という予想はしていました。僕自身、体はあまり強いほうではないので、何かきつい感じや、痛みの中で投げるんだろうな、という覚悟はありました。
――その中で、今年の目標は「1年間一軍にいる」でした。実際に実現しました。
島本 最低限クリアできたかな、と思っています。ただこの成績に満足していないですし、もっと上を目指していきたいと思っています。
――今年の成績には満足していないということですか。
島本 中継ぎ投手は1点を取られたら「失敗」に・・・
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