今年もまた、ドラフト会議がやってきた。1965年秋からスタートし、55回目。制度をさまざまに変えながら歴史を紡いできた。ここでは2018年の会議まで1年ごとに振り返っていく。 1965年第1回ドラフト会議会場
まず、ドラフト制度の歴史を簡単に振り返っていく。ドラフト制度誕生以前の自由競争時代は、激しい選手争奪戦の中で、特に1950年代後半以降、契約金が天井知らずに高騰し、球団経営を圧迫。さらに言えば、人気面でも
巨人一強時代にあり、有望選手が次々巨人入りし、戦力の不均衡が起こっていた。
特に“巨人戦のない“パの人気低迷、赤字増加は年々深刻となり、西鉄の西亦次郎球団代表は、打開策を求めアメリカのプロ・フットボールの世界で導入されていた新人採用方法に注目(一度、プロ入り希望選手を組織でプールし、最下位球団から優先的に補強していくもの)。野球でも同様にできないかと考えた。
西は同じ悩みを持つパで地固めをし・・・
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