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記憶に残る惜別の男たち

新時代にユニフォームを脱いだ記憶に残る惜別の男たち【セ・リーグ編】

 

令和元年──新時代の幕開けに、野球人生のピリオドを打った男たちがいる。球界を彩った数多くの名選手。彼らはユニフォームを脱いだが、その功績は色褪せない。
※経歴の()内の数字はドラフト順位。年齢は2019年の満年齢

巨人・阿部慎之助 伝統球団で重責を担った背番号10 「センスは努力でカバーできる」


巨人阿部慎之助捕手[40歳]


 21世紀の巨人を支えた阿部慎之助は、才能に頼ることなく栄光の道を切り拓いてきた。

 座右の銘は「センスは努力でカバーできる」。伝統球団で正捕手、主砲、主将の重責を担った男は、「日本人って鍛錬を積み重ねないとダメな人種だと思う。素質だけじゃ絶対にできない」と、華やかな野球人生の礎としてきた考え方を、力を込めてそう語った。

 千葉・習志野高で元阪神掛布雅之氏と中軸を打った甲子園球児の父・東司さんに育てられた。小学生時代も毎日、自宅近所のティー打撃場やバッティングセンターに通う野球漬けの日々。それがスタートだった。強肩強打の左打ち捕手として、中大から2001年逆指名のドラフト1位で巨人入団。新人開幕スタメンを果たして以降、不動のレギュラーに君臨した。ベテラン投手やコーチから配球やリードの指導を受け、それを毎日ノートに書き込むなど扇の要としての苦悩も糧とし、“打てる捕手”として球史に名を刻んだ。10年にはシーズン44本塁打を記録。12年には首位打者(打率.340)、打点王(104)の2冠に輝くなど一時代を築いた。

 15年からは一塁手に転向。8年間務めた主将の座も坂本勇人に託した。捕手を断念する原因となった首のヘルニアなど故障に苦しみながらも、17年には通算2000安打を達成。19年目の今季は当初目指した捕手復帰を断念したが・・・

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