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追悼・醍醐猛男氏 早実甲子園初制覇の出発点となった献身的なリード

 

急性骨髄性白血病のために12月11日に死去した醍醐猛男さん(享年81)の告別式が、17日、東京・文京区の護国寺で営まれた。プロ野球の毎日、大毎、東京、ロッテ・オリオンズの正捕手として活躍し、60年、70年のリーグ優勝に貢献。74年には金田正一監督の下で兼任コーチとして、日本一にも貢献した醍醐さんの葬儀に、早実で2年後輩にあたるソフトバンク王貞治球団会長、元ロッテ監督の八木沢荘六氏らが駆け付け、故人を偲んだ。

早実時代、甲子園での入場シーン。先頭が醍醐氏。後方に王選手の姿も見える


 昭和31年(1956年)夏の甲子園大会に出場した早稲田実業学校(以下早実)は、1回戦で新宮高と対戦、2対1の僅差で勝利を飾った。続く2回戦の相手は、大会ナンバーワン左腕・清沢忠彦を擁する優勝候補の県岐阜商高。強豪・県岐阜商高は甲子園の常連校だった。

 試合前夜、捕手でキャプテンを務める醍醐猛男は、宮井勝成監督の部屋に呼ばれた。同監督は醍醐に「明日の先発は王で行く」と告げた。東京大会で、新宿高相手にノーヒットノーランを記録しているとはいえ、1年生の王は、まだ16歳の少年だった。大事なゲームを託すには制球力に課題があり、大崩れする不安があった。

「なぜですか、監督。明日も3年生のエース・大井(大井孝夫)で行かせてください」と食い下がる醍醐に宮井監督は・・・

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