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島田利正(元日本ハム球団代表)インタビュー 北の大地にファイターズを根付かせた男【後編】 「ドラフトではその年のNO.1の選手を果敢に獲りにいく。この姿勢は変わらない」

 

世界に誇る投打の二刀流・大谷翔平を大逆転劇で獲得したドラフト戦略をはじめ、日本球界の将来を担う侍ジャパン、そして、夢の北海道ボールパークの実現──。定年で退団して北海道から東京に帰った。島田利正・日本ハム元球団代表が、前編に続いて、ファイターズと球界への思いを語る。
聞き手=山崎博史(ジャーナリスト) 写真=高原由佳、BBM

ドラフトでも独自路線を貫いてきた日本ハム。その先頭に立っていたのが島田氏だ[前列左]


ブレることのないドラフト戦略


──その年の「NO.1の選手」を徹底して獲りにいく。そんなファイターズのドラフト戦略は、誰が?

島田 ウチは合議制なので、みんなで話して決めています。ウチがちょっと違うのは、大勢のスカウト会議はやるんですが、そこは報告だけの場で、別に少人数の会議を監督を交えてやる。そこで決める。そこのトップは僕ですが、そうだね、そうだねって聞いていて、最終的にじゃあって決めるだけ。僕は特に何もしていない(笑)。

──でも、その積極的な戦略は他球団と競合し、水の泡となる可能性もある。誰がその責任を?

島田 僕ですね。東京時代はNO.1を獲りにいかず、ウチに来てくれる選手を指名していた。僕は、それが一番嫌だった。だから、チーム統轄本部長になった2004年末からは高田繁GMらと話し合ってスカウトの陣容を変え、NO.1を獲りにいくことにしたんです。その結果、11年は、巨人原辰徳監督の甥っ子である菅野智之を、巨人と争って一か八かで獲りにいき、交渉権を引き当てたものの、袖にされた。その翌年も、うちだけはメジャー・リーグ行きの意向を表明していた大谷翔平を獲りにいった。みんなで話して大谷指名を決めたとき、僕は内心・・・

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