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平野謙の「人生山あり谷あり、感謝あり」

平野謙コラム 第10回「山内一弘監督と衝突した理由は?」

 

背番号3のメガネ時代


背中に100円ライターが


 1982年、僕はプロ5年目にしてレギュラーをつかみ、リーグ優勝も経験しました。西武に負けて、日本一にはなれなかったけど、オフにはダイヤモンドグラブ賞(現ゴールデン・グラブ賞)ももらった。街を歩けばファンに声をかけられ、ちやほやされるし、いいことばかりでした。まあ、案の定、少し天狗になっちゃったけどね(笑)。

 あのオフ、球団から「背番号を1ケタに変えないか」と打診がありました。今と違ってレギュラークラスが40番台、50番台を着けている時代じゃなかった。谷沢(谷沢健一)さんが41だったけど、それはもう谷沢さんだからで(笑)。

 ありがたい話なんですが、少し迷いました。前も言ったけど、57には愛着があったんですよ。1982年が、昭和だと57年だったし、5月7日は、母親の命日でもある。レギュラーをつかみ、優勝も経験した番号です。ある意味、ラッキーナンバーだと思っていましたからね。

 それに最初に言われた番号を聞いて、ちょっとびっくりしたのもあります。「3はどうだ?」って。それまで着けていた富田(富田勝)さんが引退されて、ちょうど空いていたんですが、ほかの球団では、巨人の長嶋(長嶋茂雄)さんをはじめ、スーパースターの番号だし、ドラゴンズでも、僕が入ったときの監督、中(中利夫)さんが現役時代に着けていた。中さんの現役時代は見たことありませんが、首位打者も獲と られた堅守の外野手というのは知っていましたしね。

 恐れ多いと思って、「そんな僕なんか……」とぐずぐず言っていたら、何か勘違いしたのか、「じゃあ・・・

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