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ダンプ辻のキャッチャーはつらいよ

短期連載ダンプ辻コラム 第16回「後編のつもりが中編?これはもう短期連載ではないのでは?」

 

ケガをしても休ませてくれなかった村山監督[中央]。左が辻、右が江夏豊


最悪で最高の年


 気になったんですが、これ、短期集中連載ですよね? いや、短期でも長期でも構わないのですが、16回もやっていて短期でいいのかと思いまして。はあ、なりゆき任せですか。相変わらず自由ですね(笑)。

 前回は、僕が経験した17のケガのうち8つまで説明しましたので、今回は9つめからです。あれは昭和42年(1967年)の春季キャンプ中でした。ゲーム形式のノックをしていたら、同志社大学から入った山尾(山尾孝雄)さんという先輩が、スパイクの金具を上げて滑ってきて、タッチにいった僕の左腕にスパイクのケンがまともに入った。ほら、見てください。まだ傷跡があるでしょ。痛かったな。山尾さんは先輩なのに、つい「スパイクを向けるな!」と怒鳴ってしまいました。ずいぶん長く治療もしました。刃を立てるなら、相手チームにしてほしいものです。

 10個目が、昭和46年春のオープン戦です。以前も話したことがありますが、伊勢の試合前に、田淵(田淵幸一)の横で小便していたら、あいつの小便がコーラみたいな色をしていたんですよ。それで「病院、行けよ」と行かせたら、腎炎ということで、そのまま帰ってこんかった。もうヒゲさん(辻佳紀)は近鉄に行っていたし、一軍のキャッチャーは僕と藤田(藤田訓弘)しかいない。監督の村山(村山実)さんからは「しばらく一人で頑張ってくれ」と言われました。

 まあ、試合に出てなんぼですから、それはそれで構わなかったのですが、一人になった途端・・・

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