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田中大貴のMonthly Column

田中大貴コラム 『松坂世代』あの夏から21年目の延長戦 「相手のために動き、喜びを感じる活動を続ける男」

 

兵庫・小野高、慶大で活躍し、東京六大学リーグ戦では早大・和田毅(ソフトバンク)と真剣勝負を演じた元フジテレビアナウンサーで現スポーツアンカーの田中大貴は、1980年生まれの「松坂世代」の1人。そんな野球人・田中が、同年代の選手たちをプロ野球現場の最前線で取材した至極のエピソードを、コラムにして綴る連載第30回です。

報徳学園高では、3年春のセンバツ初戦で横浜高・松坂大輔から2安打を放った


越えられない深緑のカベ


 私が小野高野球部に所属していた3年間、当時の兵庫県内の公立高校は常に「打倒、報徳」を掲げる時代でした。報徳学園高に勝たなければ甲子園に行けない。強いというよりも負けないチームが報徳だったわけです。実際にセンバツ大会へとつながる秋季兵庫大会も、私たちは準決勝で報徳学園高と対戦し、僅差ではありましたが敗戦。越えられそうで越えられない深緑のカベが、今も頭の中に鮮明に残っています。

 その報徳打線の中で印象深い選手が鞘師智也でした。身長は私と同じくらい、右打ちの外野手。手足がスラっと長く、体のバランスが非常に良いんです。打撃フォームにはクセがなく、スイングが速い。守ればセンターから矢のような送球が返ってくる。うらやましくもあり、追いつきたいという思いもあり、鞘師のいる報徳学園高と試合をするのが本当に楽しみでした。その後、東海大へ進学。そして広島東洋カープへ入団。現在はカープのスカウトとして活躍する鞘師に今回、話を聞くことができました。

「実は高校を卒業したら母の影響もあり、美容師になるために美容系の学校へ進むつもりでした。小さいころからの夢が甲子園だったので、達成したら美容師にと考えていました」

 意外な言葉に驚きました。まさか、高校卒業後に野球をやめようと思っていたとは。このころからプロも注目し、春も夏も甲子園に出場した有望な選手が美容師になろうと思っていたなんて。しかも、センバツでは横浜高の松坂大輔(現西武)から2本のヒットを放っています。てっきり、「プロの世界で活躍を」と考えていたと思っていました。聞いてみなければ分からないものです。

「当時の報徳の永田裕治監督(現日大三島高監督)やスカウトの皆さんが僕のプレーを熱心に見てくれていたので、・・・

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