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平野謙の「人生山あり谷あり、感謝あり」

平野謙コラム 第24回「私は“コレ”で西武を追い出されました?」

 

93年の日本シリーズはまったく打てず、打率2割に終わった


 1988年の「10.19」の記憶を聞きたい? あれ、この間、話しませんでしたっけ。ああ、伊原(伊原春樹)さん、石毛(石毛宏典)と取材を受けた「1980年代のパ・リーグ」(11月上旬発売)の中の企画ですか。以前も言いましたが、正直、あまり覚えてないんですよね。あのときは移籍1年目で優勝でき、ただただホッとした。伊原さんには「優勝しなかったら、お前のせいだ」って真顔で言われていましたしね(笑)。

 翌日の報知新聞で、広野功コーチが僕を「陰のMVP」と評価してくれたんですか。へえ、それは知りませんでした。広野コーチは中日の二軍時代から僕を見てくれていた方なんで、なおさら、そう思ったのかもしれないですね。

 僕が西武時代の広野コーチで一番覚えているのは、かなりくだらないことなんですが、西武球場でロッテ戦があった後です。僕だったか、カミさんだったか忘れましたが、どちらかの誕生日で、広野さんも一緒に僕の所沢のマンションでお祝いをしようということになったんですよ。

 それで試合後、広野さんは道を知らないんで、僕の車の後についてきてもらった。墓地を抜けたり、ローカルな細い道を通っていったんですが、マンションの駐車場についたらびっくりです。なぜかロッテの選手が何人か車でついてきた! 聞いたら、広野さんが裏道を知ってるんだと勘違いして、ついてきたらしい(笑)。広野さんは西武の前、ロッテでコーチをしていたんですよ。

 みんなでお祝い? まさか。大笑いして解散です。そういえば・・・

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