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1985時代の証言者

元西武・松沼博久インタビュー 「阪神との日本シリーズで広岡さんの勝利への執念を感じられなかった」

 

まさに広岡チルドレンという存在だ。松沼博久広岡達朗監督のお陰で現役を永らえた。1985年はキャリア2番目の14勝を挙げて優勝に貢献。しかし、恩師との別れのシーズンでもあった。
取材・構成=小林光男

1985年、14勝をマークした松沼博。日本シリーズでは第1、4戦に先発した


広岡監督にフォームを矯正されて


 西武ライオンズ初年度の1979年、巨人との争奪戦の末、弟・雅之とともに東京ガスからドラフト外で入団した松沼博久。アンダースローからの力強いボールでいきなり16勝をマークして新人王を獲得したが以後、9勝、5勝と成績は右肩下がりに。それが82年、10勝と復活すると83、84年は12勝、そして1985年は14勝。V字回復を遂げた要因には名将の存在があった。

 私の投球フォームを作り上げてくれたのは広岡(広岡達朗)さんです。プロ3年目までは自己流で投げていました。勢いのあるボールを投げようという意識から、バックスイングの際、右腕が背中まで入る非常に負担のかかる形。登板を重ねる中で、そのひずみが出てきて右肩に痛みが生じるようになり、勝てなくなってしまいました。

 そして82年、広岡さんが西武監督に就任。でも、私は右肩が痛くて自主トレからキャッチボールもできない。広岡さんにそれを告げると、「そうだろうなあ」と。続けて「あの投げ方だったら痛めるのは当然。でも、直せば大丈夫だよ」と言ってきたんです。それで自主トレ初日からトレーナーと毎日、マンツーマンでスムーズに腕を回す体操を始めて。私のために専属でつけてくれた格好ですね。その後、広岡さんに投げ方を見てもらって・・・

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