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よみがえる1980年代 1985年編

広岡西武、最後のV。リーグ優勝も監督勇退

 

全球団に勝ち越す圧倒的な強さで2年ぶりのリーグ優勝を果たした西武。しかし、このとき、広岡達朗監督の姿は球場になかった。

82年の就任即日本一以来、黄金時代を築き上げた広岡監督だったが、最後はあっけなかった[西武球場でのセレモニー。先頭は広岡監督]


若手がもたらした勢い


「よかった。私がいなくてもちゃんとできるんだと思いましたよ」

 10月9日の近鉄戦(藤井寺)に勝利し、西武が2年ぶり、埼玉移転後では3度目の優勝を飾った。

 ただし、3度の優勝を指揮した広岡達朗監督が冒頭のコメントを出したのは、球場ではない。長野県、しかも私服姿で記者たちの前にいた。

 実は持病となっていた左足の痛風治療のため、なじみの整体治療院にいて、優勝決定試合の指揮も黒江透修コーチが執っていたのだ。

 完全なる独走で、121試合終了時点でのV決定。しかも2位ロッテには15ゲーム差がついていたが(この年、5試合以内で逆転可能なら1、2位で5試合のプレーオフがあった)、監督不在の優勝は格好のいいものではない。優勝決定後のビール掛けもなく、どこか、しらけムードがあったのも確かだ。

 序盤の原動力となったのは・・・

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