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ダンプ辻のキャッチャーはつらいよ

連載ダンプ辻コラム 第43回「プロで長生きしたかったら毎年いいピッチャーを育てろ」

 

ダンプさんが大恩人の一人に挙げた石川緑[阪神時代]。64、65年は2年連続10勝


幸運の後の落とし穴


 つくづく思うんですよ、僕の野球人生は何だったんだろうって。

 地味なのは確かですよ。42歳まで22年と半分もやっているのに規定打席も1回しかないし、ヒットも418本しか打ってない。ホームランも44本だし……。

 ありゃありゃ、ダメですよ、ここは「そんなことないですよ、ダンプさん」って言ってくれなきゃ(笑)。

 自慢じゃないけど、キャッチャーとしては、いろいろな人に評価してもらったんですよ。ただ、すごいとほめられるよりは、嫌がられるほうが多かったかな。広島の監督をしていたときの古葉竹識さんから「お前は試合に出るなよ。俺のときは姿を見せるなよ」と言われたり、大洋時代の監督だった関根(関根潤三)さんから、「他チームの監督が、辻が出てくるとイヤだと言ってる。お前は、そういうキャッチャーなんだぞ」と言ってもらったことあります。どうです? 何だか、すごいでしょ。

 でもね、なぜか少し良くなると、必ず何か起こってダメになるんですよ。そんな繰り返しでした。

 昭和43年(1968年)、江夏(江夏豊)と組んで「よしよし、出番が増えたぞ」と思ったときも、そのオフ、法政大から田淵(田淵幸一)が入ってきて、いきなり大人気です。翌年は、僕がスタメンで出ると、「ダンプ、はよ、田淵に代われ」と味方のファンにヤジられましたからね(笑)。

 昭和46年に初めて全試合で出たときも・・・

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