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追悼

追悼──ホームランに惚れて、惚れて、惚れ抜いた男、門田博光氏、死去

 

なぜあれほどホームランを打てたのかを尋ねると、「惚れて、惚れて、惚れ抜いてトライしたら打てるようになるんです」と答えた。アキレス腱断裂も経験しながら170cmの体で史上3位567本塁打を放った不屈の大砲。ホームランに憑りつかれた男、門田博光氏が74歳で死去した。

鬼気迫る表情で打席に立つが、会心のホームランの際は写真のように、なんとも言えぬ笑顔になった


1本の電話


 門田博光さんが、小社の出版部に電話を掛け、「門田です。私の本を出してほしいのですが」と言ってきたのは、2006年の野球殿堂入りのあとだった。受けた社員は、まさかあの門田さんとは思わず、「どちらの門田さんですか」と尋ね返したという。

 殿堂入りは、05年の秋、小脳梗塞で倒れ、1カ月の入院生活を終えた直後だった。一度、死のふちに立ち、「誰かを教え、指導する機会はなかったが、23年間の現役生活で得たことをなんらかの形でまとめておけば、“門田博光の世界”を残しておけるかもしれないという思いが徐々に強まっていった」(そのあと小社から刊行した門田さんの自著『門田博光の本塁打一閃』より)。

 当時58歳。引退後、プロのコーチをしたことは一度もなかった。

 1948年、奈良県生まれ。天理高校から倉敷レーヨン岡山に入社し、70年にドラフト2位で南海入団。翌年には31本塁打をマークするが、以後はほとんど25本前後でアベレージヒッターの印象もあった。

 当時の野村克也兼任監督の考えもあった。四番・野村の前の三番打者が多かったが、2年目の71年に31本塁打、120打点で打点王になった際も「三番は出塁すればええ。長打はいらん」と露骨に嫌な顔をされたという。ただし、門田さんも言われたまま黙っているタイプではない。現役中、何かと反発し、野村氏は・・・

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