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『つじのじつ話』重版記念企画

辻発彦×槙原寛己(司会=神田れいみ) 『つじのじつ話』重版記念企画 SPECIAL TALK 02

 

槙原寛己さんのYouTube『ミスターパーフェクト槙原』とのコラボ企画。槙原さんと小社から『つじのじつ話』を刊行した辻発彦氏との対談だ。3回予定の第2回は西武ライオンズ入団からの話になる。もちろん神田れいみさんもいます!
【SPECIAL TALK 01】はこちら

左から辻さん、神田さん、槙原さん


Mではない?


槙原 プロは、どこの球団でもよかったんですか。

 いや、行くんだったらライオンズと思っていた。

槙原 辻さんは1984年入団だから2年連続日本一のあとですよね。チームが強くなっていた時期というのも魅力だったんですか。

 というより、監督の廣岡達朗さん。管理野球と言われ、厳しい野球をやっているのは知っていたけど、自分は、どうせ入るなら一番厳しい環境の中でやったほうがいいと思っていた。

槙原 Mですか(笑)。

 いやいやいや(笑)。僕は性格的にナニクソというタイプだから。石毛宏典さんが、けちょんけちょんに言われていたのも知っていたしね。

槙原 そうでした。このYouTubeに出ていただいたとき、「これが新人王かって(石毛さんは81年の新人王)、ボロクソに言われた」と言っていました。悔しくて、このヤローと思ったそうです。当時の西武は反骨心を持った選手が多かったから、それも廣岡さん流の選手の伸ばし方だったのかな。一度、崖の下に突き落として、はい上がるのを待つみたいな。

 あとはオヤジが大のライオンズファンだったこともある。西鉄時代からね。

槙原 へえ、そこにつながるんだ。

神田 親孝行ですね。

 その前の年に、お断り状を各球団に送ったんですよ。腰が痛くて無理ですと。それをオヤジに言ったら、寂しそうな顔をしてね……。なんかさあ、これも親孝行かと思った。実際、体幹を鍛えたことで、自信ができたのもあります。

槙原 プロのレベルはどうでしたか。

 すごかった。これはまずいと思ったね。伊東勤秋山幸二安部理が4つ下の年代になるんだけど、1月5日過ぎに自主トレに行ったら、彼らがすごいスピードのマシンをカンカン打っている。僕は社会人で金属バットを使っていたから木が慣れてないし、手が痛いし、でね。

槙原 その3人がすごかったのもあるでしょうね。

神田 春季キャンプでは、廣岡監督自らが辻さんに指導したとウィキペディアにあります。

 1年目のアリゾナのメサというところのキャンプね。全体練習が終わると、廣岡さんに指導をしてもらった。最初、ノックしてもらったら途中で、「おい、もうやめ! まだノックする次元じゃない」って。それで横にポンとボールを置き・・・

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