交流戦がもうすぐやってくるが(5月26日から)、これはプロ野球のリーグが2つあってこその楽しみ。1リーグ時代(36〜49年)は、この楽しみは与えられなかった。その代わりというか、どのチームのファンをも喜ばせたイベントがあった。それが東西対抗戦。交流戦とオールスターを合わせたようなものだ。
東西対抗はプロ野球スタート2年目の37年には行われており、この第1回大会は11月20日に甲子園で開幕。3試合が行われた。年ごとに人気が沸騰して、試合数がどんどん増えていった。ちなみに、記念すべき11月20日の試合は、14対0で東軍の圧勝。東軍の勝利投手はあの
沢村栄治(
巨人)で堂々の完封。現在のオールスターと違うところは、調子が良ければ、このように投手に最後まで投げさせたことだ。まあ、沢村なら誰も文句を言わなかっただろう。現在のオールスターのような“総花的親善試合”ではなく、真剣勝負だったから人気があったのだ。
戦後は爆発的プロ野球ブームもあって、46年6試合、47年9試合、48年9試合と東西対抗の試合数はどんどん増えていった。球場はほとんど満員。写真は48年の後楽園シリーズ(4試合)でMVP、首位打者となった
千葉茂内野手(巨人)。トロフィーのほかに副賞が子ブタ1匹だったので、スタンドは大いに沸いた。千葉さんは“猛牛”のニックネームを持っていたがその風貌から「猛豚でもいいなあ」と冷やかす失礼なファンもいたので、笑いを誘ったのである。
後年、千葉さんに「その後、子ブタはどうなりました?」と聞いたことがあったが「巨人の合宿の近くに養護施設があった。そこの子どもたちにプレゼントしたよ。桐の木につないで飼ってたな。ワシがトンカツにして食ったなんてウワサが立ったが、いくら食糧難の時代でも、そんなかわいそうなことはせんよ」。