筆者の頭と指先の関係はまったくひどいもので、図工の時間は針のムシロ。第一、幼稚園の粘土細工で先生と周りの園児からゲラゲラ笑われたのだから、その不器用さは5歳からの筋金入り? 楽器はもちろん弾けないし、ハシの変な持ち方も親に何度言われても直らなかった。唯一、原稿を書くことは、頭とどうやら何とかつながっているらしいが、書かれた文字は金釘流で読めたものではない。
フランスのベルクソンという哲学者は、記憶は頭(脳)の中にはないという驚くべきことを言っているが、じゃあどこに蓄えられているのか?と問われると、何かを蓄えるのにはウツワが必要と考える方がおかしいのではないか。どうして、そんな考えが正しいと言えるのか、と彼は答えている。やや、スカされた感じはするが、そう言われると、そんな気もしないでもない。記憶は「精神的実在」という妙なものになって、人間の体を離れて存在するというような話になるのだが、それはさておくとして、どうも、この頭というのは厄介な存在で、人間は、手なずけることができていない。
このところ前書きが長くなって申し訳ないのだが、手なずけられないから面白い、とも言えそうだ。野球ではよく、「分かっていても打てない」という表現が使われる。超一流投手の超一流のボールに対しての、尊敬の表現なのだが・・・
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