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交流戦が以前の半分に縮小
交流戦より「定期戦」のスケールになった
日本の野球は定期戦から発達していった

 

 来季から交流戦が18試合に減らされることになった。スタート時の36試合からここまで縮小してしまうと、交流戦という表現も変えた方がいいんじゃないかと思う。

 例えば、巨人-オリックス定期戦とか。まさにこれは定期戦規模で、巨人-オリックス戦は3試合で終わり。今年が東京ドームなら来年は京セラドームという方式も、その昔の旧制の第一高等学校(東京)=現在の東大、と第三高等学校(京都)=現在の京大、が始めたやり方と同じだ。まあ、日本における野球の対抗戦への本卦帰りみたいなものかもしれない。もっとも一高-三高定期戦は、明治39年(1906年)に始まっているから、60年の本卦帰りをもう1回グルリと回さなくてはならない。

 なんてことを考えるともなく考えていたら、日本の野球の歴史の古さにあらためて感じ入った次第。日本の野球事始めは、明治5年(1872年)に第一大学区第一番中学校(翌年開成学校となり、これが明治10年に東京大学、19年に帝国大学となる)の、いわゆる“お雇い外国人”教師、ホーレス・ウィルソンが生徒たちに教えたのが最初ということになっている。

 そこから一高全盛時代(つまり、全国に野球が広まり、その中で一高が覇をとなえることになる時代)の明治20年代前半まで、わずか20年ほど。日本人はアッという間に、アメリカ製の集団球技を受け入れてしまったのである。輸入スポーツは多々あったのだが、(サッカー、ラグビー、バスケットボール等々)、野球のように明治の半ばまでに一気に日本全国に広まったものは他にない。明治36年(1903年)に早慶定期戦がスタートして、野球は、さらに隆盛に向かい、1925年に東京六大学リーグ戦が始まり、1936年にプロ野球が誕生、という読者もご存じのコースを歩む。

 日本のプロ野球は、80年の歴史を誇るが、そこまでの60年余の野球の歴があってこそのプロ野球、ということも知っておいてほしい。その60余年の歴史、煎じ詰めれば、一高=東大、早慶の歴史ということになる・・・

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岡江昇三郎のWEEKLY COLUMN

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プロ野球観戦歴44年のベースボールライター・岡江昇三郎の連載コラム。

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