50年3月10日、平和台球場にセ・リーグ8球団が集結して開幕。「広島カープス」には笑ってしまう
プロ野球が開幕する。ちょっと前に、もう開幕を待ちこがれるような気持ちはなくなったという意味のことを書いたが、それでも、3月27日のセ、パ6カードのうち、興味のあるどれかを見ることにはなるだろう。
昔は、前年の成績によって、開幕試合の開催権を持つチームと、持てないチームに分かれたのだが、近年は、日本全国で一斉開幕という盛り上げ方に変わり、各地に分散しての開幕という風になってきている。これは、考えてみればファンサービスのイロハのイ。最近は、地方でのオープン戦開催が減る一方なのだから、この分散開幕は絶対必要なことである。
それにしても、ここに至るまで、どれほど時間がかかったことか。開幕を本拠地で迎えるに越したことはないだろうが、そこに余りにこだわるみみっちさは、みっともいいものではなかった(このみみっちさは、CSに残っている。すべて上位チームのホームゲームというのは、商魂むき出し。当然、すべてホームチームが後攻だ。こんなアドバンテージではなく、2位と3位の間にしっかりと数字的なアドバンテージを設定し、ファイナルステージでも優勝チームをもっと有利にすべきである)。
今年は、札幌、所沢、東京、大阪、広島、福岡とまずまず、うまくバラけた。ところで、現在は12球団だから、6球場での開催となるが、プロ野球史上、最も球団数が多かった年はどんな開幕となったのだろうか?
史上最多となったのは、もちろん2リーグに分かれた1950年。セ・リーグ8、パ・リーグ7の計15球団でのにぎやかなスタートだった。
セ・リーグは3月10日の開幕。その組み合わせと開催球場は、松竹-
巨人(平和台)、西日本-広島(平和台)、大洋-国鉄(下関)、
中日-
阪神(下関)。西日本の2球場でともに変則ダブルという予想外の開幕風景。当時は、移動に時間とカネがかかったから、2個所にまとめて、ということだったのか。一応、平和台は西日本、下関は大洋の本拠地扱いで、ともに新たにプロに加わった球団。地元へのサービスもあったのかもしれない。それにしても東京、大阪の大都市圏を外しての開幕というのは大胆だ。
一方、パ・リーグは、1日遅れの11日の開幕で、毎日-西鉄(西宮)、南海-阪急(西宮)の2試合。翌12日に毎日-近鉄(藤井寺)、大映-東急(藤井寺)の2試合。これで全球団登場となった。こちらは大阪方面の2球場で2日間で開幕カードを消化している。
で、結局、東京方面での開幕戦はゼロとなった。東京周辺に本拠地を置くのは、毎日、大映、東急と3球団もあるのだが、なぜか大阪偏重の開幕となった。
もっとも、当時は、現在のようなキッチリとしたフランチャイズ制ではなく、どの球団も、全国の球場をあちこちするのが当たり前。例えば、中日-西日本戦などは18試合を17球場で行っている! 少し煩わずらわしいが1回戦からの球場を書き出すと桐生、豊橋、一宮、鳴海、佐賀、多治見、中日、岐阜、豊橋、浜松、新潟、鶴岡、米沢、後楽園、一ノ関、松阪、熊本、広島となる。
いまのプロ野球選手が、これを知ったら目を回すことだろう。これほどの全国行脚なら、開幕戦をどこでやろうと関係なかったワケだ。