週刊ベースボールONLINE


松井秀喜氏がヤンキースのフロント入りしたが、オーナー補佐ぐらいのポジションを目指せ
アイク生原氏の先例がある。

 

 元ヤンキース(元巨人というより、もはやこっちの方がピッタリくる)の松井秀喜氏がヤンキースのフロント入りしたという。どういう仕事内容でいつまでの契約(報道では1年契約)なのかは、傘下のマイナー・チームの巡回指導という以外分からないのだが、彼の人間性の素晴らしさが、おのずと、こういう道を開いてくれたのだろう。

 一番ガックリしているのは巨人かもしれない。松井氏がアメリカに長くとどまれば、とどまるほど“松井呼び戻し計画”に、どんどん狂いが生じてくるからだ。

 まあしかし、筆者などには「松井巨人監督」より「松井ヤンキースオーナー補佐」の方がよっぽど興味があるし、そうなってくれることを切に願うものである。「メジャーの名門球団のオーナー補佐なんて夢物語もいいところ。何を寝ぼけたことを」と呆れた読者もいるかもしれない。でも、これって、夢物語じゃないんですよ。実際、日本人でその立場にまでのぼり詰めた人がいるのです。その名は“アイク”生原昭宏氏。ドジャースのピーター・オマリー会長補佐兼国際担当として活躍した、メジャー球団の要職についた日本人第1号だ。

 生原氏は早大卒業後、亜大の監督を務めたが、どうしてもアメリカの野球、経営を学びたいと、鈴木惣太郎氏(1935年の巨人第1回渡米遠征の引率者)のウオルター・オマリードジャース会長(当時、ピーター会長の父)宛の紹介状を得て65年に単身渡米、体当たりでドジャースの門戸を開かせた。

 クラブハウスの掃除係のような底辺の立場からスタート、実にさまざまな部署を経験して会長補佐まで昇進した。年齢の近いピーター会長とは、兄弟のような感じで、ともに仕事に携わり、ピーター会長は「アイクは私よりドジャースのことを知っている」と言ったそうな。

 筆者は、1度だけだったが、生原氏に2時間ほど話を聞いたことがある。何かの用事で帰国した折だったが、とにかく、アメリカでは・・・

この続きはプレミアムサービス
登録でご覧になれます。

まずは体験!登録後7日間無料

登録すると、2万本以上のすべての特集・インタビュー・コラムが読み放題となります。

岡江昇三郎のWEEKLY COLUMN

岡江昇三郎のWEEKLY COLUMN

プロ野球観戦歴44年のベースボールライター・岡江昇三郎の連載コラム。

関連情報

新着 野球コラム

アクセス数ランキング

注目数ランキング