3種類しかない凡打、おのずと道は決まってくる
振り返れば他球団で戦力外扱いされた選手を“再生”したのは、南海監督時代の1973年、
巨人から移籍してきた
山内新一、
松原明夫(福士明夫)の2投手が最初だった。当時は『野村再生工場』なんていう言葉はなかった。この言葉が使われるようになったのは、
ヤクルト監督に就任して以降だと思う。
その“走り”は
田畑一也。95年オフ、
柳田聖人、
河野亮と2対2のトレードで、
佐藤真一とともにダイエーからやってきた。高校卒業後に入社した北陸銀行在籍中に右ヒジを痛め、一時は引退。その後、実家の『田畑建工』で働いていたときにダイエーのテストを受け、合格した変わり種だ。しかしダイエー時代は3年間で2勝しか挙げられず、トレード要員になった。ヤクルトにやってくるや、96年自己最多の12勝(12敗)。その年、監督(私)推薦でオールスター戦にも出場した。
田畑に限らず、プロ野球選手はほんのひと言のアドバイスで変わるケースが往々にしてある。ほとんどは、それまでの考え方が間違っていたからだ。バッターはホームランの魔力に取りつかれ、ピッチャーは三振──あるいは空振りを取る快感に走る。プロ野球選手でありながら、「野球とは?」という思考も発想もない。野球について、細かく考えていないのだ。監督として日々ミーティングを行うようになって、そんな選手が多いことをあらためて知った。
そこで、ピッチャーに聞いた。
「凡打の種類には、どんなものがある?」
答えは・・・
この続きはプレミアムサービス
登録でご覧になれます。
まずは体験!登録後7日間無料
登録すると、2万本以上のすべての特集・インタビュー・コラムが読み放題となります。
登録済みの方はこちらからログイン