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野村克也の本格野球論

野村克也が語る「大相撲」

 

初恋の人・H先生がいじめっ子をぶん投げた


 大横綱・千代の富士の九重親方が7月31日、すい臓ガンで亡くなった。彼とは一度だけ、国技館で紹介され、あいさつを交わした。あまり愛想のいい人ではなかったなという記憶がある。享年61歳。まだ若いのに、残念なことだ。

 私は相撲が大好きだ。子どものころあこがれた相撲取りといえば、双葉山(第35代横綱)、羽黒山(第36代横綱)、照国(第38代横綱)である。しかし、わが家は京都のド田舎。テレビなどあるはずもなく、相撲中継はラジオだけが頼りだった。そのラジオも受信状態が悪く、1ミリでもダイヤルがずれるとピーピー言い出すから、聞きたい局に合わせるのは大変だった。今の世代からは、想像もつかないだろう。

 当時、小学校の校庭には、土俵があった。戦時中の、何もない時代。体育の授業にしても遊ぶにしても、相撲ぐらいしかない。おまけに、校庭の三分の二は畑に変わっていた。自給自足しなければ食っていけないから、今では考えられないようなところにも畑を作った。以前書いたと思うが、土地を持たないわれわれ貧乏人は、浜辺の砂の上にも畑を作らざるを得なかったのである。

 体育の時間になると、よく東西に分かれて相撲大会をした。私は体が大きかったこともあって、相撲は強かった。しかし、どうしても勝てなかったのが、4つ年上の同級生M君。小学生で4つも違うと、まるで体格が変わってくる。いつも決勝戦で彼と当たっては、負けていた。

 このM君はいじめっ子で、私は彼にしょっちゅういじめられていた・・・

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野村克也の本格野球論

野村克也の本格野球論

勝負と人間洞察に長けた名将・野村克也の連載コラム。独自の視点から球界への提言を語る。

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