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喜びも悔しさも

シリーズ・インタビュー「惜別球人」第10回/嶋重宣[元広島、西武]

 

野手転向に苦労と喜び

──プロでの19年間を振り返っていただきたいのですが、プロ入り当初はピッチャーとしての入団でした。当時はやはり投げる方に自信もあったわけですよね。

 めちゃめちゃありましたよ。入って、3日で砕かれましたけどね。所詮高校生だったので、高校である程度上の方にいたからと、意気がっていたんでしょうね。

 でも、先輩方のキャッチボールで球を受けたり、隣でピッチングをしているのを見たら、「こりゃ、ピッチャーじゃメシ食っていけないな」と正直思いましたもんね。レベルが高かったですよね。

 練習もそう。自分では高校時代に走り込んできたっていう自負があったけど、いざ新人合同自主トレをやったら、僕が自負していたランニングの量を超えてた(笑)。プロってこんなに練習するんだって思って、3日で帰りたくなりました。

──ピッチング自体に関しては?

 ランニングでバテているから、ピッチングどころじゃないですよ。そしたら、案の定、ヒジを壊して、股関節をケガして。ピッチャー時代はケガばかりだったかな。ケガが治っても、思ったような腕の振りもできないし、楽しく投げられないような感じでした。シーズン中ちょっと良くても、1年もたずにまたケガしてしまう。一軍でも2試合投げましたけど、そこまでのレベルではなかったですよね。

▲95年の広島入団時はピッチャーだった。一軍では97年に先発として2試合登板したものの勝利を挙げることはできなかった



──99年に野手に転向。野手に転向というのは、球団から?

 野手に転向したいな、バッティングやりたいなというのは、ずっと思っていたんですよ。そうしたら、当時二軍監督だった達川(光男)さんにトレーナー室に呼ばれて・・・

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惜別球人

惜別球人

惜しまれながらユニフォームを脱いだ選手へのインタビュー。入団から引退までの軌跡をたどる。

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