週刊ベースボールONLINE

惜別球人2015
インタビュー・朝倉健太「ケガをしていなければ人の痛みは分からなかった」

 

歓喜と苦悩を比較すれば、後者のほうが多かっただろう。通算成績では負けが5つ多く、特筆すべきタイトルも手にしていない。それでもドラゴンズの生え抜き右腕は、厳しいプロ野球の世界で確かなものを手にしたという。天国と地獄を目の当たりにした16年を朝倉健太が振り返る。
取材・構成=富田庸、写真=BBM



現役ラスト登板は涙、のち笑顔


涙、涙で現役に別れを告げた。本拠地・ナゴヤドームで行われた9月20日の巨人戦。8回一死の場面で先発の若松駿太からバトンを受け、マウンドに上がった。打席には代打で登場した元同僚・堂上剛裕。初球のストレートで捕邪飛に打ち取り、フィナーレを迎えた。そして試合後に待っていたのはナインによる胴上げ。「気持ちよかったです」。ドラゴンズの生え抜き右腕の表情は、泣き笑いでくしゃくしゃだった。

――ラストピッチング、最後の舞台に臨む心境はいかがでしたか。

朝倉 明るく振る舞おうとは思っていたんですけど、ブルペンを出たら一軍の選手も二軍の選手もみんなで迎えてくれて、「頑張れ、頑張れ」と。マウンドに上がる前にもう、泣いてしまいましたね。本当に幸せな野球人生だったと実感しました。

――そのマウンドで出迎えてくれたのが森繁和ヘッドコーチでした。

朝倉 一番お世話になったコーチなので、顔は見られなかったですね。見ると涙が止まらなくなるので。森さんには、一つのアウトを取ることがどれだけ大事かということ教えてもらいました。よく覚えているシーンがあるんです。ナイターが始まる前の球場でマウンドに寝転がらされて、その体勢からピッチャーゴロの練習をしました。そこで恐怖心を取り除くこと、そして自分で一つのアウトを取ることの意味を考えさせられましたね。

――対する打者は代打で出てきた元チームメート、堂上剛裕選手でした。

朝倉 相手は誰でもいいと言ったら語へいがありますけど、勝負の世界ですから私情は抜きにして自分のピッチングに集中しました。初球でキャッチャーフライに終わりましたけど、(堂上剛が)しっかり振ってきてくれたので感謝しています。

――もう少し長くマウンドに立っていたかったという思いは。

朝倉 それは正直ありますけど、肩とヒジはボロボロだったので……。1球でよかったと思いますよ。

――投げ終えると、今度は(投手交代で)谷繁元信監督がベンチからマウンドへ来ました。

朝倉 掛けられた言葉は「お疲れさん」という一言だけでした。僕の球を一番多く受けてくれた人だし、公私ともにお世話になっていたので。感謝しかないですね。

――引退することを家族に告げたときはどんな反応だったのでしょう。

朝倉 僕がボロボロだということを妻は分かっていたので、「長くやれればそれはいいけど、本人が無理だというならそうなんでしょ」と言ってくれました。僕が苦しんでいる姿を間近で見ていたわけだし、口にこそ出さなかったけど「そろそろいいんじゃない?」と思っていたはずです。8歳の長男は野球を始めたばかりなので残念がっていましたけど。

1年目の8月にプロ初登板を果たすと、計9試合に登板した



愛知の高校を選択しプロの世界へ


岐阜県で生まれ育った朝倉は、大学まで野球を続けた父親の影響により、幼いころから野球ボールを握っていた。そして高校入学時に大きな決断をする。15歳にして初めて迎えた人生のターニング・ポイント。この選択がその後の野球人生へとつながっていくのだった。

――高校は愛知の強豪・東邦に進んだわけですが、その理由は。

朝倉 とにかく岐阜を出たかったんです。でも、これはネガティブな発想ではありません・・・

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