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惜別球人2023

谷元圭介(元中日ほか) 引退惜別インタビュー 小さな鉄腕「プロ野球選手の中では飛び抜けて小さかった。でも、この低い目線はオンリーワンでした」

 

子どものころ、プロ野球選手を夢見たことは一度もない。自分のような小さな人間がなれるとは、思ってもいなかったからだ。アマチュア時代は身長の壁に何度も悔しい思いをしてきた。それでもプロの世界へ飛び込み、日本一の胴上げ投手となり、500試合に登板し、現役生活を15年もまっとうした。
取材・構成=牧野正 写真=宮原和也、BBM

10月3日の引退セレモニー。ファンの前で15年に及ぶ現役生活に終止符を打った


完全燃焼の15年


 ここ数年は、いつも引退と背中合わせのシーズンだった。中日の現役最年長選手。38歳で迎えた今季15年目のシーズンは出番も少なく、その覚悟はできていた。球団から戦力外の通告を受け、しばらく考える時間を持ったが、ユニフォームを脱ぐ決意を固めた。10月3日の今季最終戦(対巨人、バンテリン)は通算524試合目の登板となり、それが最後のマウンドとなった。

――長い間、お疲れさまでした。引退してしばらくたちましたが、今はどんな気持ちですか。

谷元 もう来年のことを考えなくていいので、ゆっくり過ごしています。練習をする必要もないですし、今のところですが、また野球をしたいなとも思いませんしね。一番変わったのは食事の量が減ったこと。現役のときは、しっかり食べないといけないという気持ちが、心のどこかにいつもありましたから。

――あらためて引退の経緯、思いを聞かせてください。

谷元 決断したのは引退発表のあった前日です。9月の頭ぐらいに球団のほうから来年は契約しないと言われ、そこから1週間ほど考える時間をいただきました。その間、自分の動ける範囲でいろいろと当たってみましたが、厳しいと判断しましたので(引退を)決めました。野球を続けるのならどこでもいいというわけではなく、いろいろと考えましたけど、地元(三重県鈴鹿市)も近いし、最後はドラゴンズで終えるのもいいかなと思って決断しました。

――後悔や未練はありませんか。

谷元 この2、3年は毎年、今年ダメなら(引退)いう気持ちで過ごしていたので、決断するまでは大変でしたけど、それを受け入れることはできました。自分のほうからやめるつもりはなかったですけど、球団から(戦力外と)言われましたから。NPB以外なら、模索すればまだ続けられたのかもしれませんが、次の道を早く探したほうがいいという気持ちもあったので。すっきりしています。未練もありません。

――まだできる、もったいないという声もありますが。

谷元 そう思われているうちにやめるのもいいのかなと。自分の中では、まだやれたかなとか、そういうことは思わないですけど。

――通算で15年の現役生活でしたが、入団当初、ここまで長く続けられると思っていましたか。

谷元 自分の中では「3年やって結果が出なければ」と考えていました。社会人出ですし、そんなに待ってもらえる余裕はないだろうと。それが5倍の15年、この年(38歳)までできたわけですから、よくやったんじゃないかと思います。

08年12月の入団会見。左端が谷元


――身長167cm。その小さな体で大きな故障もありませんでした。

谷元 投げられなくなるほどの大きなケガはなかったですね。小さかったからこそ、だったらどうすればいいのかを考えることが多かった分、ケガをしなくて済んだのかなと思います。この体では力任せに投げてもしれているので、いろんな部位を効果的に使って投げることを考え続けた15年でした。

運命の入団テスト


 2歳から7歳までアメリカで過ごした。野球を始めたのは日本に帰国してから。高校1年の秋に本格的に投手に転向したが、身長はなかなか伸びなかった。将来は野球を通じて少しでもいい大学、企業へ進めたらと漠然と考えていた。考えもしなかったプロへの気持ちが芽生え始めたのは、社会人野球に進んでからだ。身長の壁は感じていたが、練習にウエート・トレーニングを重ねてレベルアップしている手応えもあった。

――プロを意識し始めたのは、いつごろですか。

谷元 野球は小学生のころからやっていましたけど、プロでやりたいと最初に思い始めたのは社会人時代です。やっぱり身長というハンディが大きく、常にネックになって・・・

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惜しまれながらユニフォームを脱いだ選手へのインタビュー。入団から引退までの軌跡をたどる。

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