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惜別球人2023

藤田一也(元DeNAほか) 引退惜別インタビュー これからも言葉を胸に「すべての人に影響したし、された。これからも『一期一会』を大事に」

 

華麗なグラブさばきと堅実な守備を兼ね備え2005年ドラフト4巡目で横浜に入団した内野手。12年途中に楽天へトレードとなり、星野仙一監督の下、二塁手として花開き、13年には日本一に貢献。ベストナイン2度、ゴールデン・グラブ賞3度を獲得し、22年に再びDeNAへと帰ってきた。常に前を向き横浜、仙台で躍動した“牛若丸”は、「一期一会」を胸に思いを後進へとつないでいく。
取材・構成=武石来人 写真=BBM


感謝あふれたセレモニー


 横浜にこれほど愛された選手も少ない。その雄姿を待ち望まれ、「闘将」の言葉を胸に、どんなときでも勝利へと再スタートを切り続けた不屈の男。“ハマの牛若丸”は9月27日、ハマの風を浴びて慣れ親しんだ遊撃のポジションへ立ち、最後は23度、宙を舞ってファンに別れを告げた。

――守備に限界を感じたことが決断の決め手と話していました。どんな部分が厳しくなったのでしょう。

藤田 僕の中ではプロの世界に守備で入れたという思いがあります。今年は守備に就く機会も減っていましたし、速い打球に対して体の反応が悪くなっていました。試合の中でも今まで捕れていた打球が捕れなくなっていき、今年のファームでの試合でも何個かあって。自分が思っているプレーができないのに、一軍で戦うのは厳しいなと。

――引退セレモニーでは、応援歌が鳴りやみませんでした。何十回もこだました“ハマの牛若丸”は、入団直後の選手名鑑にも掲載されています。浸透したのはいつごろですか。

藤田 始まりは入団が決まったドラフトの直後に雑誌で取り上げてもらったときだったと記憶しています。『もしかしたらハマの牛若丸になるんじゃないか』というような記事を見て、牛若丸自体にもカッコいいイメージがあって、「これいいフレーズやな」と思いましたね。だから、入団会見の決意表明の場で言ったんですよ。それをファンの方々が応援歌にも入れてくれたんです。

“ハマの牛若丸”になると誓った2004年の新入団会見


――ライト側スタンド前で背番号と同じ23回の胴上げ。回数は当初から予定していたのでしょうか。

藤田 いいえ(笑)。みんなでライト側へ歩いていくときに何回にしますかと聞かれて、「3回でも良いし、6回でも良いし」と選手の皆がこれまで着けてきた背番号を提案してくれたので、「それだったら、23回お願いします」と言ったんです。「やろう!」となって大田泰示が先陣を切ってくれました。感謝しています。

――セレモニーでのスピーチで、楽天時代に学んだ「迷ったときには前に出ろ」の意識を持ち続けたと話していました。まさに「選手・藤田一也」を表している言葉だと感じます。

藤田 この年齢まで現役で野球をできたのは、間違いなく楽天時代があったからだと思います。「迷ったときには前に出ろ」は星野(星野仙一)さんに言われた言葉。星野さんにはいつも、「自分が決めた道を下がるヤツがあるか」と言われていました。おかげで守備においてもそうですけど、迷ったときに下がらずに前に出ることができたなと思っています。

――「闘将」と呼ばれた星野さんらしい言葉ですよね。

藤田 そうですね。僕自身、ずっと心の中で意識してきましたし、今もしています。

――横浜スタジアムのグラウンドをお子さん2人と一緒に歩きながらどんなことを感じていたのですか。

藤田 ここ何年間か子どもたちにあまり一軍で戦う姿を見せることができなかったので・・・

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惜しまれながらユニフォームを脱いだ選手へのインタビュー。入団から引退までの軌跡をたどる。

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