亜大-JR東日本と各カテゴリのトップチームに身を置き、成長を遂げてきた。チームにはいつも並み居るライバルたちが存在し、数多くチャンスが与えられるわけではなかったが、志だけは失わなかった。進むのは「1度も行ったことがない」という土地の球団・広島。ドラフト後に手にした一つの武器を手土産に、次のステージに上がる。 文=菊池仁志 写真=田中慎一郎 今年2月、アクシデントが襲った。チームでアメリカのロサンゼルスで行ったキャンプ3日目のことだ。ランニングを終えてストレッチを行っているブルペンに飛び込んできた悪送球が左手を直撃した。左手小指付け根部分の亀裂骨折。昨秋のドラフトでチームの大黒柱・
吉田一将(
オリックス1位)がプロへ進み、「エースがいなくなり、僕がやるという気持ちでした」と気負っていた、その矢先に負ったケガだった。
「実戦をやるために行ったんですが、アメリカではずっと走り込みです(苦笑)」
約2週間のキャンプ中、起伏の激しいクロスカントリーコースを一人黙々と走った日々を思い出す。「走ることしかできなかったですからね。ただ、普段以上に走れたのでそれはよかったです」。思い返せば、これまでの野球人生にもいくつもの険しい上り坂が待ち構えていた。それを一歩一歩、登ってきたのだ。
ドラフト上位右腕が立ちはだかった大学時代
藤沢翔陵高時代、メジャーからも視線を受けていると話題になった左腕が亜大に進んだのは、「日本一厳しい環境」を求めたからだ。「野球はもちろんですが、野球以外の私生活面も厳しく指導してくださるということで。一社会人となるためにどの大学かと考えたら亜大しかありませんでした」。だからこそ、心に決めたことがある。「亜大に入った以上は、社会人、プロを目指す」。その決意がブレなかったから今がある。卒業後、JR東日本へと進み、2年を経て、今秋のドラフトで広島から6位指名を受けた。
亜大時代の東都大学リーグでの成績は15試合22回2/3を投げて2勝1敗、防御率2.38。同級生に
東浜巨(
ソフトバンク、13年ドラフト1位)、一学年下に
九里亜蓮(広島、14年ドラフト2位)がいたことで、登板機会は限られた。「2人はいいピッチャーで・・・
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