今秋のドラフトで、福岡六大学リーグからは九州共立大・大瀬良大地(長崎日大高)が広島1位指名を受けた。
ヤクルト、阪神と3球団が競合したこの即戦力右腕と互角に投げ合ったのが、九産大の本格派サウスポーだ。
3年前の春のセンバツでは、宮崎工高のエースとして17イニング1失点の快投を見せたのも記憶に新しい。大学でも順調に成長を遂げ、堂々の「候補選手」である。 取材・文=岡本朋祐
写真=BBM、
筒井剛史(プレー)
島袋と、有原と投げ合い上のレベルを強く意識 初めてプロを意識したのは、高校2年秋の九州大会だった。宮崎工高は48年ぶりの出場。左腕エース・
浜田智博は2試合を勝ち上がって、準決勝は興南高(沖縄)と顔を合わせた。
相手校の主戦投手は
島袋洋奨(現中大)。2年生にして春夏連続で甲子園の土を踏んでおり、翌年には史上6校目の連覇を遂げるサウスポーである。この一戦で“琉球トルネード”は先発(救援)しなかった一方で、3連投となった浜田は2失点完投(3対2)と大きな自信を得ている。
前身の大淀高で出場した1960年夏以来の甲子園(センバツは初出場)では、前橋工高(群馬)との1回戦で2安打完封。広陵高(広島)との2回戦では18イニング目にして初失点でサヨナラ負け(0対1)したものの、右腕・
有原航平(現早大)と互角の投手戦を演じている。同世代の顔とも言える2人と戦ったことで、浜田の目標はより明確になった。
「小さいころは祖父と・・・
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