都市対抗で最多11度の優勝を誇るJX-ENEOSは昨年まで、3年連続で本大会出場を逃している。名門復活のカギを握るのは入社2年目の捕手。ルーキー年の悔しさをバネに飛躍を誓っている。 取材・文=小中翔太 写真=太田裕史 昨年11月の社会人日本選手権では初戦敗退[対JR東日本東北]も、1試合マスクをかぶり、貴重な経験を積んだ
捕手が評価されるのは、チームが勝ったとき。野球キャリアにおいて、すでに10年以上マスクをかぶり、名門・JX-ENEOSで入社1年目から扇の要を務める
小林遼はそのことを深く理解している。
「やっぱり、チームが勝つと僕はうれしいので、白星を挙げた試合後に『ナイスキャッチャー』と言ってもらえると、すごくやりがいを感じます。試合を左右するのもキャッチャーだと思っています。チームを勝たせるというか配球面で引っ張っていくタイプなので、自分にはこれといって大きな特長はないんですけど、チームの勝利に導けるようなキャッチャーになりたいなと思っています」
天王小学校3年時に野球を始め、5年時から捕手一筋。高校、大学、社会人とすべてのカテゴリーで全国大会を経験し、チームを勝利に導いてきた自負がある。
仙台育英高では2年秋に明治神宮大会を制し、3年春のセンバツでは8強進出。同学年には
上林誠知(現
ソフトバンク)、
馬場皐輔(仙台大―現
阪神)、
熊谷敬宥(立大―現阪神)ら有力メンバーがそろっていた。小林は高校3年時にプロ志望届を提出したが、ドラフトでは無念の指名漏れの現実を味わっている。
「当時は(プロには)行けないだろうなあと思っていました。全然、実力がなかったので」。このとき、ソフトバンクから4位指名を受けた上林は選手層の厚いチームの中で外野のレギュラーに定着し、侍ジャパンの一員に選ばれるまでになった。プロでの同級生の活躍ぶりは「刺激」というよりも「あこがれ」だという。
「すごいなと思って見ていました。やっぱり、持っているものが・・・
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