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第4回 ビクトル・スタルヒン vs プロ野球他の8球団のギブアップ

 

プロ野球が生んだ最初の大投手は39年42勝、40年38勝と無敵の鉄腕。
阪急も阪神も蛇ににらまれた蛙


1シーズン制でスタルヒン本領発揮!

 プロ野球は、スタート2年目の1937年から優勝チームを決定することになった(春、秋の2チーム)。これはのちのパ・リーグの2シーズン制(73〜82年)とは違い、プレーオフはない。この年、春のペナントレースは、8チーム(この年からイーグルスが加入)で8試合総当たりの56試合。秋のペナントレースは、48〜49試合。春は巨人、秋はタイガース(阪神)が優勝。前年の2強がVを分け合った形だ。翌38年は、春がタイガースで、秋が巨人。前号でも書いたように、GTが引っ張るプロ野球だった。

 それにしても、50試合前後で優勝を決めるというのは、物足りなさが残るし、個人タイトル争い(これは36年秋からスタート)も、本塁打や打点、投手の勝ち星の数が少な過ぎてどうにも迫力に欠ける。35試合制で行った38年春などは本塁打王が6本(イーグルス・ハリス)、打点王が31打点(タイガース・景浦将)。最多勝は14勝(巨人・スタルヒン)という数字。

 まあしかし、巨人24勝中の14勝を挙げたスタルヒンの右腕は称えなければならないだろう。スタルヒンは、前年37年秋も15勝で最多勝。38年秋も19勝で最多勝。38年は春秋合計48試合に登板して33勝(完投30)。プロ野球史上最初のタフな大エースの登場だった

 形の上ではプレーオフに当たる春秋の覇者の年度優勝決定戦は、37年からメジャーのワールド・シリーズにならって7回戦制で行われることになった。37年は、春に24勝をマークした沢村栄治がいる巨人が有利と見られたが、投手にプレート1メートル手前から投げさせる練習でタイガースが打倒沢村を果たして4勝2敗でV。

 38年は、何とタイガースが巨人に4タテを食らわせて連覇。兵役についた沢村を欠く巨人は、スタルヒンを押し立てたが、0勝3敗と打ち込まれた。右ヒジの痛みを押しての登板。しかも、ツキにも見放されていた。3敗目となった第3戦は巨人は13安打で3点。タイガースは5安打で5点。巨人は8失策でスタルヒンの足を引っ張った。「僕は勝てたのに」とスタルヒンは悔しがった。

 第4戦、巨人は苦肉の策でルーキーの川上哲治を先発させたが、リリーフの水原茂が打たれて2対4で万事休す。この決定戦には、川上のほかに、千葉茂吉原正喜の2人の新人も出場していた。4タテ敗戦に、川上と千葉は「タイガースは強過ぎる。これから巨人はどうなるのか……」と途方に暮れたという。

 そんな巨人を救ったのが・・・

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