近鉄の無責任と事なかれ主義が結果的に野茂をメジャーに。イチローが大記録!
この連載も1990年代半ばまで進んできた。まあ、現代史と言ってもいいところまで来たワケだ。
この90年代半ばは、プロ野球の歴史の中でも画期的な出来事が連続した。まず、90年に近鉄に入団した
野茂英雄が、驚くべき“奪三振力”で日本での最後のシーズンである94年までの5シーズンで、1051回1/3で1204三振を奪ったことが、アンビリーバブルな出来事だった。あの
江夏豊(
阪神)は、ルーキーの67年から4シーズンで1155回1/3を投げ1228奪三振。江夏よりかなり速いペースで1200奪三振を達成したのだから、これは驚きだった。江夏の新人からの奪三振ペースを上回る投手など、二度と現れまいと思われていたからだ。
野茂はルーキーの年から4年連続最多勝、4年連続最多投球回、そして、4年連続最多奪三振というものすごい成績を残している。これは江夏も、あの
金田正一(国鉄)も成し得なかった快挙である。
その野茂が首脳陣と野球観を巡って対立を深めたのがこの94年・・・
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