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アクロバティックな守備と豪快なバッティング。華のあるプレーで見る者を魅了する内野手だ。超一流の世界でもまれながら自らの地位を築き、現在はその貴重な経験を、ロッテの若手に惜しむことなく伝えている。
文=梶原紀章(千葉ロッテ広報)

父の背中を追う


 ルイス・アルフォンソ・クルーズ・ボルボン。ルイス・クルーズの父はメキシカン・リーグで通算1671試合に出場。平均打率は.297。210本塁打、321二塁打、1034打点を挙げた名外野手だった。メキシコの誇る偉大なプレーヤーだ。

 子どものころはよく球場に連れて行ってもらった。野球観戦はもちろん、練習中のグラウンドにも足を運び、父が練習をする姿を目の前で見た。

「私にとって父はあこがれであり、野球の先生であり、本当に頼もしく優しい人だ。今でも認めてもらいたいと思ってプレーしている」

 物心がつき、バットを握り始めると父は遠征にも連れて行ってくれるようになった。家族とは離れて、父と二人。チームバスにも乗せてもらった。大人たちに囲まれ、野球の技術はグングンと伸びていった。

 12歳になるとチームに交じってグラウンドで一緒に練習をした。日本にはない南米独特の大らかな雰囲気。そして選手の家族もまたチームメートだという意識の中でクルーズは、トップ選手たちとともに成長していった。

 そんな尊敬する父は1999年に現役を引退をする。まるで、バトンタッチをするかのように、クルーズは2000年にレッドソックス入団が決まった。子どものときの記憶に焼き付いている父の雄姿。それを追いかけるようにプロの世界に飛び込んだ。

 ルーキー・リーグ、1A、2A、3A。段階を着実に踏んで08年9月2日にメジャー・デビューを果たす。インディアナポリスで試合をしていたが、シンシナティに急きょ、移動。グレート・アメリカン・ボール・パークでのビジターゲームに備えていたチームに合流すると、二番・ショートで即、スタメンを言い渡された。

 実は、その1週間ほど前にも昇格のチャンスがあったが、相手ピッチャーの剛速球をヒジに当て、打撲。患部が大きくはれ上がったため、そのチャンスは見送られていた。不幸な出来事にも、前向きに取り組んでいたクルーズに、野球の神様はチャンスを与えてくれた。

「めちゃくちゃ緊張したね。人生、最大じゃないかな。4万人の大観衆の前でプレーをするのも初めての経験だった」

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