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野球浪漫2021

日ハム・渡邉諒 逆境を打ち砕く信念「波がないように前半戦とは違った自分を見せたい」

 

大谷翔平が入団した翌年、同じドラフト1位で日本ハムに指名され、スタートしたプロ野球人生は今年、8年目を迎えている。決して器用な選手ではない。ルーキーイヤーから紆う 余曲折を経て、周囲の手助けも借りながら積み重ねてきた経験値で道を切り開く。
文=金田正大(スポーツライター) 写真=小山真司、早浪章弘、BBM

8月末に登録抹消されたが、一軍には必要な戦力であることは誰もが認めるところ。早期の再昇格が期待される


あこがれの存在


「直球破壊王子」

 渡邉諒のプレースタイルを、端的に表した愛称だ。直球への対応力の高さは、チーム屈指。豪腕投手の自慢の直球を打ち砕く姿は爽快で、圧巻。数々の“破壊シーン”を繰り広げてきたことで一躍、定着した。渡邉自身は「新聞を見て、そう呼ばれていることを知りました」と苦笑い。本人の想像をも大きく超えて、異名は知れ渡っていった。

 最初の衝撃は、昨シーズンの8月8日、西武戦(札幌ドーム)で起こした。ギャレットの160キロの直球をとらえ、これが逆転打となった。「人生で一番速いボールだった」。すべて160キロ超で攻められた中、心の中では「変化球でもいい」と割り切っていた。甘く飛び込んできた9球目の直球を、痛烈にはじき返した。どこか異次元の真っ向勝負に、球場のボルテージは1球ごとに上昇。SNSでも「直球破壊王子」がトレンド入りし、一気に名を馳(は)せた。

 活躍の代償として、打席で迷いが生じることが増えた。直球に強いイメージが定着したことで、変化球に読みを張っても裏をかかれることが続出。内角攻めが多くなるなど配球が一変した。「全然、最近は(直球を)破壊できていない。やっぱり真っすぐを打ち返さないと、僕的にはどうしても打率が上がってこない。そこはレベルアップしていかなければいけないところ」と受け止め、進化につなげようとしている。

 向上心の片鱗(へんりん)は、高校進学時にその一端を見せていた。中学時代は茨城・竜ケ崎シニアで全国大会に出場。将来有望な遊撃手には、複数の高校から誘いの連絡が届いた。多くの選択肢があった中、当時の東海大甲府高の和泉淳一コーチの一声が決め手になった。「スーパースターが1人いる。その選手は必ずプロに行くから、お前もうちに来て、絶対に高校1年からプロのスカウトにプレーを見てもらえ」。胸に突き刺さった。「スーパースター」とは、2学年上の高橋周平(現中日)のこと。1年春から「四番」でレギュラー入りを果たし、早い段階からプロ注目選手として知名度は全国区に広まっていた。渡邉は高校入学時まで「存在を知らなかった」と笑う。選手寮で相部屋で過ごすようになってからは、毎晩のように野球談議に花を咲かせた。「スーパースター」との、かけがえのない時間が、プロ野球選手の夢を少しずつふくらませていった。

 あこがれの背中を追い掛けるように、1年春にベンチ入り。夏には「四番」に抜てきされた。高橋を押しのけ、主軸の座とともに遊撃手のポジションも引き継いだ。2年夏は甲子園4強に導き「スーパー2年生」としてスカウト陣の視線を、かっさらった。「このときから、本格的にプロを目指し始めました」。高校通算39本塁打、自身もプロ注目選手の仲間入りを果たした。夢に向かって、着実に近づいていった。

 運命の瞬間は、驚きと同時にやってきた。2013年秋のドラフト会議。調査書は全12球団から届いていた。ドラフト当日は普段どおりに登校し、授業を受けたあとに校長室のテレビでドラフト会議の様子を見守った。会議から約45分後。「ドラ1は、ないなと思っていたので、ちょっと気を抜いていました。驚きのほうが大きかったです」。外れ外れ外れの1位で、北海道日本ハムファイターズから指名された。内野手では大学、社会人を含めて最上位の評価だった。

 実感が湧かないまま・・・

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苦悩しながらもプロ野球選手としてファンの期待に応え、ひたむきにプレーする選手に焦点を当てた読み物。

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