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野球浪漫2023

中日・柳裕也 今、この瞬間を「いろんなことがあったけど、やっぱり自分にはこの人生しかないと思います」

 

父親を突然の交通事故で失ったことで、絶対にプロ野球選手になると誓った。宮崎から横浜高へ、そこで多くのことを学び、明大を経て、ドラフト1位で中日に入団。夢を叶えた右腕の物語は、まだまだ続く。
文=土屋善文(中日スポーツ) 写真=宮原和也、BBM

中日・柳裕也


忘れられない夜


 2006年8月――。灼熱の日本の夏の主役は2人の18歳だった。斎藤佑樹(早実、元日本ハム)と田中将大(駒大苫小牧高、現楽天)。国民的スターの誕生に列島はフィーバーしていた。宮崎県都城市に住む12歳の少年も、ほかの野球少年たちと同様に2人の熱戦に目を奪われていた。

「ずっと見ていたので覚えています」

 大人になってから「あの夏」を振り返ったとき、甲子園の決勝戦が真っ先に思い出される、はずだった。

 決勝で投げ合っている2人の映像は、しっかりと頭の中に残っている。しかし、自分の身に起きたことは途切れ途切れになる。延長15回で決着がつかず、再試合が決まった8月20日の夜。小学6年生の柳裕也にとっては、あまりにも突然で、あまりにも悲しい出来事が起きた。

 父・博美さんが亡くなった。37歳。交通事故だった。

「夜、電話がかかってきて、母と病院に行って……」

 小学3年生で野球を始めた柳は博美さんと二人三脚だった。野球経験のない父は書店で野球の入門書を買ってきた。『野球ピッチング入門』(成美堂出版)は今でも大事に持っている。2人で読み込みながら、練習に明け暮れた。試合の行き帰りの車の中でも、ずっと野球の話をしていた。

「味方がエラーしたときに自分が態度に出しちゃったんですよね。そのときに『態度に出すな』って言われたのは一番覚えていますね。今でもできないとき、ありますけどね」

 誰もが「明日」は「今日」と同じように世界は続いていくと思っている。しかし、本当はそうではない。その時間、その場所に、ただただ偶然居合わせただけで、人の命は奪われることがある。その当事者や家族になることを想像しながら生きている人がどれだけいるだろう。理不尽や不条理は突如として日常に顔を出す。世界がいかにデタラメにできているかということを12歳の少年は知ってしまった。

 喪主を務めた柳は多くの参列者の前で「プロ野球選手になります」と誓った。

「それまで漠然とプロ野球選手になりたいと思っていましたけど・・・

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