週刊ベースボールONLINE

野球浪漫2023

日本ハム・田中正義 『奇跡』の日々「本当に奇跡が起きてるような感じ。投げるたび、奇跡が起きてるような感覚です」

 

ドラフトで5球団が競合した剛腕は、フィジカルの不安もあり、何もできぬままソフトバンクでの6年間が過ぎ去った。突如、訪れた転機が歳の右腕をよみがえらせる。北の大地で任される最終回のマウンド。ようやくつかんだ「幸せ」が、そこにある。
文=杉浦多夢 写真=高原由佳、毛受亮介、川口洋邦


もがき続けた6年間


 1年前には想像もできなかった日々。一軍のマウンドに立つことさえままならなかった6年間を経て、マウンドに上がるたび、「本当に奇跡が起きてるような感じ。毎回、奇跡が起きてるような感覚ですね」という思いがあふれ出す。ましてや、任されるのは9回のマウンド。北の大地で、少しぎこちない笑顔を浮かべながら実行される“正義執行”。チームの戦力として、ファンの期待を背中で感じながら、その思いに応えたいと腕を振る。やりたくでもできなかったこと。思い描いていた、あるべきプロ野球選手の姿。田中正義は今、29歳にして初めて味わう充実感の中にその身を浸している。

 長い間、もがき続けてきた。2016年秋のドラフト会議の超目玉。創価高時代に肩を痛めて外野手だった男は、大学で投手一本に専念して急成長。最速156キロの剛速球を武器に一時は「12球団競合」ともささやかれ、実際に5球団から指名を受けた末に、当時の工藤公康監督が当たりクジを引き当てソフトバンクに入団した。だが、それは苦悩の日々の始まりでもあった。

 高校時代に続き、大学4年を前にして再び右肩に違和感が生じ、春には右肩関節の炎症を発症した。不安は、プロに入っても簡単には消えなかった。ルーキーイヤーは一軍登板がなく、シーズン終盤に二軍で1試合に投げたのみ。迎えた2年目はリリーフとして開幕一軍を勝ち取ったものの、そこでさらなる絶望感を味わうことになる。

「自分の中では、『これ以上できない』というような感じで練習していた。それが一軍ではホームランを打たれまくって。『これは歯が立たない』という感覚を覚えてしまった。プロの壁を、すごく高く感じた瞬間だった」

 一軍初登板でいきなり被弾すると、1試合2本塁打、3試合連続被弾と悪夢の日々が続き、5月下旬にはファーム行きが告げられた。

 右肩の状態も一進一退が続いた。状態が上がり「これで行ける」と思っても、長続きしない。また落ちていく。その繰り返し。1年間、痛みが出ないシーズンもあった。それでも、常勝軍団の分厚い戦力が次の壁になる。

「結果を残さないと、継続して一軍のマウンドでは投げることができない。そことの戦いだった」

 入団から6年間で一軍のマウンドに立つことができたのは、わずかに34試合。さらなるステップアップのための経験を積むことさえもままならなかった。

「俺、器じゃなかったのかな……」

 そんな思いが、何度も頭をよぎった。

「何をもって『心が折れる』っていうのか分からないですけど、そう思ったことは何度もありました。でも、それであっても、やるしかない」

 肩の状態を落とさないためのトレーニング、フィジカルの強化。ソフトバンクのファーム施設での地道な努力。その積み重ねが・・・

この続きはプレミアムサービス
登録でご覧になれます。

まずは体験!登録後7日間無料

登録すると、2万本以上のすべての特集・インタビュー・コラムが読み放題となります。

野球浪漫

野球浪漫

苦悩しながらもプロ野球選手としてファンの期待に応え、ひたむきにプレーする選手に焦点を当てた読み物。

関連情報

新着 野球コラム

アクセス数ランキング

注目数ランキング